引越し46回!職も転々「江戸川乱歩」の意外な人生 ラーメン屋台を引きチャルメラを吹いたことも
この家の玄関までの路の左手には梅林があり、広い庭にはビワ、柿、桜の樹が植えられている。玄関から入って右手に息子隆太郎、左手に母の部屋があり、正面に隆の部屋や居間、女中部屋となっている。玄関から1番離れた場所に有名な書庫兼書斎の土蔵があり、家族の居住空間と土蔵の間に乱歩の部屋があった。
古書が収められた土蔵について、乱歩は次のように書いている。
コレクションの中心は西鶴を中心とする和本であったが、その他の本は犯罪関係、変態心理関係のものを多く含む洋書や、日本語で書かれた古代ギリシャもの、心理学、犯罪学、法医学、探偵学などの書物、もちろん内外の探偵小説もあった。
戦後の再版で収入が増加
乱歩が古書を集め始めるのは1931年ごろのことであったが、蔵書の9割は戦後に収集されたものであった。GHQによる戦後政策が華族や財閥といった蔵書家の財政を圧迫して文庫が解体されると、その蔵書が1947年ごろから売り出され始めたのである。
一方、乱歩の小説は戦後次々に再版され、収入の増加をもたらしていく。そうした背景のもと、蔵書コレクションは成立したのだった。
戦後に乱歩の探偵小説が再版された背景には、占領軍が時代物などを武士道につながるものとして嫌い、その代わりの娯楽を探偵小説が担ったという事情もある。乱歩は、敗戦によって「いよいよ探偵小説復興のときが来た」(『探偵小説四十年』)と見た。
戦後の乱歩は1947年に発足した日本探偵作家クラブの初代会長に就任し、積極的に座談会や対談に出席していく。精力的に発表された評論は、『幻影城』(1951)、『続・幻影城』(1954)などにまとめられた。こうした発言をとおし、乱歩はミステリーの主導者としてジャンルを復興させていくのである。
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