日本の「経済成長一辺倒」に致命的に欠けた視点 「SDGs」を声高に叫ぶ日本に欧州で覚える違和感

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高松:ところで、当初は欧州よりもアメリカへのご関心が高かったとか。住まれたご経験もおありですね。

広井:はい。 日本ではアメリカの情報が圧倒的に多く、しかも政治から経済、文化にいたるあらゆる面でアメリカの影響が大きい。

高松:そうですね。

広井:私はアメリカに3年ほど滞在しましたが、物質的な豊かさみたいな面は確かにあるにしても、問題を多く抱えた国であり、そのマイナスの面を感じることが多かった。日本にいるときに種々の情報で描いていたイメージとはずいぶん違いました。

高松:そういうギャップは強烈ですね。定常型社会への着想というのはいつごろからお持ちでしたか?

広井:中学生のころ、1970年代にまでさかのぼります。当時、偏差値中心で無理やりエスカレーターに乗せられた感じがあった。また、経済成長だけがすべてのようであるような時代が続いていました。みんな仕事に追われるばかりで、幸せそうには見えない。そういう違和感がはじまりです。

高松:なるほど、若いころの「しっくりしない感じ」は長く自分の中に残りますね。

成熟社会の鏡としての地域スポーツ

高松:ドイツ地方都市を見ていると、スポーツのあり方は成熟社会としての一面をよく表していると思うんですよ。

広井:どういうことでしょう?

高松:拙著『ドイツの学校には なぜ「部活」がないのか』でも書きましたが、NPOのような組織で作られたスポーツクラブがたくさんあり、地域コミュニティーになっている。そして生活の質を高めるもので、余暇の範囲のものです。

国民の3割程度がスポーツクラブのメンバー。運動をともにする仲間が集う。都市社会にとってはソーシャル·キャピタルを作る「装置」のひとつだ(筆者提供)

広井:第2次世界大戦までは日本とドイツ、似ているところがありましたが。

高松:はい、ドイツでも高い規律と身体能力を持つスポーツマン像を優秀な兵士と重ねるような時期もありました。しかし戦後は健康・余暇というものにスポーツは関連付けられていきました。

広井:そうですか。戦後ドイツは反省を徹底的に進め、スポーツの性格も大きく転換。もっと個人の、ある意味では民主的なものに変わっていったわけですね。日本は、戦争責任などもそうですが、よくも悪くもあいまいなまま。目標が戦争勝利から経済成長に変わっただけですね。

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