このときも事務的な会話ばかりで、ドラマチックな場面は一切なし。
「でも、今思うと、長女が医療職でよかった。必要なことだけを、冷静に話せましたから。私も子どもたちの前では一度も泣かずに済みましたし」
残り時間が見えないことがむしろよかった。
次に気になったのは仕事のことだ。鳥取県米子市にある、医療法人養和会で看護師として働く松本さんは、廣江智理事長の元に報告に行った。
ところが、廣江理事長の言葉は意外なものだった。
「家に一人でいるといろいろ考えてしまうだろうから、体調がよければ、入院までは月曜から金曜まで今まで通りに働いて、週末は家族と過ごしてリフレッシュしなさい」
松本さんは、心の中で「子どもたちと過ごせる」とつぶやいた。当時の松本さんは、重症認知症患者デイケア(通いで専門職によるリハビリを受ける施設)の係長職。この業務をステージ4で務めるのは難しく、仕事を後任に引き継がなくてはいけないだろうと思っていたからだ。
継続勤務を進めた上司の思い
一方、継続勤務を勧めた廣江理事長の真意はどこにあったのか。
「松本さんは前向きで向上心のある人。病院のリーダーの1人になってほしいと期待しています。彼女に限らず、どの職員が病気になっても、できるだけ戻ってきてほしいという願いもあります」(廣江理事長)
養和会は病院だけでなく、障害者の就労支援や介護施設を運営する社会福祉法人も持つ医療法人。病気や障害を得ても、社会に戻っていけるように支援するのが使命だとも補足した。
これが建前などでは決してないことは、松本さんも含め、現在5名が仕事とがん治療を両立していることからもうかがえる。世知辛い世の中で、こんな経営トップがいる職場は働く人たちにとっても心強い。
長年の同僚である田村遵子看護部長(53)は、松本さんを前向きな頑張り屋だと話す。
「今まで20年以上の付き合いですが、松本さんは仕事に関して『できない』と言ったことがない人。できないことでも、どうすればできるのかを常に考えて前に進んでいこうとするんです。年齢が近いこともあり、職場では常にライバルでもありましたね」
准看護師から正看護師になるために、お互い40歳を過ぎてから女子大生になり、仕事を続けながら学び、その資格を同時に取得した間柄。先の「ライバル」という言葉に、互いに切磋琢磨してきた軌跡もうかがえる。病名を知った後、田村さんは家族のように泣いてくれた一人。
松本さんは入院中に投与された分子標的薬が効いて、約2週間で退院。約3週間後の2017年8月中旬には職場復帰し、薬の服用を続けながら今も働いている。
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