塩野:やっぱり学問以外の道も視野に入れていたのですね。ヘッドハンターに会うポスドクはあまりいない気がしますが、そういう知恵があるのは、一回社会に出ているからでしょうね。
それで慶應ビジネススクールで教えるようになるまでは、どんな経緯だったのでしょうか。
山本:博士課程の最後の年に、東大で助手の求人があって、それに無事採用してもらえたのです。それまでは東大に学費を払う立場だったのが、今度は急にお給料をもらう立場になった。今は違いますが、10年くらい前の東大の助手はすごくのんきで、研究だけしていればよかったんですよ。仕事といえば試験監督くらい。
私が研究していたのは博士論文の延長で、インターネットでの消費者行動とか、対人影響などについてです。インターネットの回線速度も上がって、インターネットがマーケティングで大きな力を持つことをみんなが理解し始めた頃でした。そうこうするうちに成蹊大学で講師の求人が出ていると知って成蹊大学に移り、結局、そこで9年間教えました。
塩野:18歳くらいの若者たちに教えることになったわけですね。ギャップがありましたか。
山本:いやもう新鮮でしたね。だって18歳の人なんて、それまで接点なかったですからね。どこでもつねに自分がいちばん下の立場だったので、先生と呼ばれたり、自分より経験や知識がない人を相手にしたりするのは初めてでした。
塩野:最初のうちは、距離感や取り扱いが難しいですね。
山本:そうですね。でも育てる楽しみとか喜びみたいなものもあると気がついて、楽しくなっちゃったんですね。
無理めの目標を苦しみながら達成するのが好き
塩野:基本的に、けっこうポジティブなんですか? 最初は大変でも、そのうち楽しくなれるタイプですか?
山本:そうなんですよ。私、今は笑顔でしゃべってますけど、東大の修士、博士、助手時代は本当にきつかったんです。東大の最寄り駅の本郷三丁目駅に行くと、本当に具合が悪くなっていた。勉強のわからなさと、自分のできなさに腹が立って、頭痛と吐き気に悩まされていた日々でした。
塩野:山本先生は、自分の目標設定が高いタイプなのですか。
山本:無理めのゴールを設定するのは大好きですね。もう絶対無理!っていうゴールが好き。
塩野:なるほど! それはすごいですね。でも途中のプロセスは体が悲鳴を上げるくらいつらいわけですよね。なぜそういう努力ができるのですか。
山本:どうしてでしょうね。子供の頃から実力以上のことに挑戦して、苦しみながら達成するのが好き。「この小説は大人向けだから子供には読めないよ」とか、「これは大学入試の問題だから、中学3年生には絶対無理だけどやってみる?」なんて言われると、「やりたい! やる!」みたいになるんですよね。
塩野:「ダメでもともと」精神があるのかもしれませんね。
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