75人クラスター発生の病院が味わった超過酷事態 当初は3人から始まり、いかにして広がったか

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乙武:確かに、私の義足トレーニングでも理学療法士の方についていただいていますが、こうしたサポートというのは密にならなければ始まらないということを、このコロナ禍で思い知っています。

酒向:まして「攻めのリハビリ」では、患者とスタッフが密接、密集の状態になることが前提にありますから、尚更なんですよ。リハビリテーション医療では、密接で人間力を回復して、密集が心と気持ちを元気にしていく医療なんです。

乙武:そうですよね。それでも結果としては、リハビリをストップしても感染拡大は起こってしまいました。

当初は陰性だった人が日を置いて陽性になることも

酒向:そうなんです。早い段階でスタッフも患者も全員、PCR検査を実施しましたが、当初は陰性だった人が日を置いて発熱し、陽性になるケースが相次ぎました。1つの病棟で2週間ほど陽性患者が発生して、2つの病棟が収束するのにさらに2週間を要しました。

密集・密接が避けられないリハビリ病院だからこその難しさがたくさんあった

ここで大きな問題は、陽性患者と接触したスタッフが皆、濃厚接触者扱いになることです。私たちの仕事は濃厚接触するリハビリ訓練と看護ケアですから、一気に37人の人材が濃厚接触者となりました。それまで50人の患者を70人でサポートしていましたが、突然その過半数が病院に来られなくなってしまったわけです。

乙武:とんでもない人手不足の状態に追い込まれた、と。これはもう、マネジメントのしようがない危機的状況ですよね。

酒向:唯一の救いだったのは、リハビリ訓練を全面的に止めていたことで、リハ職の人材の手が空いていたことです。患者のケア業務、清掃業務や感染対策、感染ゴミの処理、保健所への届け出などを彼らが担ってくれたことで、どうにかギリギリのところでしのぐことができました。

乙武:うーん、聞きしに勝る大変な状況だったんですね。ちなみに当初は3人から始まった陽性者の数は、最終的にどこまで拡大したんですか?

酒向:これは本当に語るのもつらいことですが……、全部で100床ある中で、75人まで拡大しました。世間的には感染率が3~4割と言われる中、75%まで広がったわけですから、まさに戦争状態でした。密接、密集の状態がいかに感染拡大につながるかということを、身をもって痛感した形です。だからこそ、この恐ろしい体験で学んだものを、まだ感染が拡大していない地域の皆さんに、積極的に発信していく使命感があると考えています。

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乙武:そうですね。まだまだ全国の病院で同様の事態は起きていますから、酒向院長の体験は大変貴重な情報だと思います。後編では引き続き、クラスター発生による経営的ダメージや、国や東京都の対応に関してお聞きしたいと思います。

(後編につづく、6月3日公開予定)

乙武 洋匡 作家

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おとたけ ひろただ / Hirotada Ototake

1976年、東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。杉並区立杉並第四小学校教諭などを経て、2013年に東京都教育委員に就任。著書に『だいじょうぶ3組』『だから、僕は学校へ行く!』『オトことば。』『オトタケ先生の3つの授業』など多数。

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