スギHD会長優先接種「上級国民批判」再びの紛糾 冷酷な階層が切実さを伴ってリアルに浮かぶ

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ジャーナリストの後藤逸郎氏は、「政治的合意形成を投げ出し、有無を言わせず建設に進んだのが、オリンピックを錦の御旗にした神宮外苑再開発だった」と指摘し、「このしわ寄せを受けるのは常に弱者だ。開発のための新国立競技場建設により、事実上の強制移転を受けた都営霞ヶ丘アパート住民の存在を知らない人は多いだろう。(略)霞ヶ丘アパートを知らないまま、新国立競技場でオリンピックを満喫するのは、オリンピックを錦の御旗に掲げて無理な開発を推進した側に立つことではないか」(『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』文春新書)と述べた。

この五輪招致の最初の不条理を押し付けられた人々の悲劇は、未来のわたしたちを襲うであろう悲劇の先行例であったのだ。

コロナ禍の初動対応からして、予定通りの五輪開催に固執したことが被害を拡大させた。1年経った現在でも、各種世論調査で多くの国民が五輪の「中止」「再延期」を求めている一方で、政府は、緊急事態宣言と五輪開催があたかも別の次元で起こっている事象であるかのように振る舞おうとしている。

オリンピック組織委員会が、日本看護協会などに対して競技場や選手村を対象とする看護師500人のボランティア派遣を要請したことがまさにそうだ。医療団体が派遣要請の見直しを要求し、ツイッターデモが巻き起こった。危機的な状況が続く大阪の医療提供体制は崩壊寸前と言われ、自宅療養者の死亡も急増している。これが五輪開催国の現実である。消耗戦を強いられている医療従事者を含む一般国民の悲鳴は、聖火の炎に焼き尽くされるも同然といえる。

弱者を踏みつけてでも自己の利益を重視

上級国民と名指しされる人々の定義やイメージが馬鹿にできないのは、そこに弱者を踏みつけてでも自己の利益を重視しようとする精神性と、それが今やこの殺伐とした時代に適応してしまっている現状に対する観察が浮かび上がるからだ。最後の最後まで五輪から得られる恩恵にしがみつこうとする作法しかり、あらゆる便益を駆使してワクチンを優先的に確保しようとする作法しかり……。利害関係者のほとんどは口をつぐみ、事の成り行きを静観していることだろう。

先のワシントン・ポストのコラムで、「日本国民の負担は金銭的なものだけではない」として、日本政府に五輪の中止を呼びかけたスポーツ・コラムニストのサリー・ジェンキンスは、「中止は痛みを伴うが、それが浄化をもたらすだろう」と主張した(Japan should cut its losses and tell the IOC to take its Olympic pillage somewhere else/The Washington Post)。

筆者には、緊急事態宣言下の非科学的な取り組みの数々や、国民生活よりも五輪開催優先で動く事態の異様さを見るにつけ、もはやこの浄化という言葉ですら希望的観測に思える。

今後、わたしたちの目の前に残されるのは、五輪開催による膨大な負債とコロナ禍の失政による未曾有の経済的・人的損失により、焦土と見紛うばかりに荒廃し尽くした社会である。繰り返される上級国民騒動とは、このような悪夢のスパイラルにおける滑稽な珍場面集に過ぎない。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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