松たか子「テレビの枠に収まらない」大女優の格 「告白」以降際立つ「問題のある女」演じる解放感

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なんだろうね、松たか子の歌声って。強弱やこぶしで圧倒して感動させる歌い方というよりは、耳から自然と流れ込んできて体内にじわーっと染みこんでくるような「静かなる侵略」。たとえ鼻歌でも、人を虜にする魔力がある。海っぺりの岩の上で歌ったら、豪華客船が次々と座礁、まではしなくても停泊するかもしれない。

最近では、岩井秀人作・演出の舞台『世界は一人』(2019年)がかなり染みこんだ。松たか子は後ろ暗い収入で暮らす裕福な家の娘であり、窃盗と不法侵入で鑑別所送りになった少女であり、全身20ヵ所骨折して植物状態になった女であり、主人公・松尾スズキの妻であり、随所に入るコミカルでシニカルな歌の歌い手でもある。

「いや、これ、どんな芝居だよ!」と思うかもしれないが、松たか子の持ち味が凝縮&炸裂。澄み渡る歌声でしんみりさせたかと思えば、「体毛」を歌いあげる丁々発止のコミカルなセッションを魅せたり。劇中の歌と音楽を担当したのが前野健太。岩井秀人と松尾スズキが作り出す毒と皮肉と笑いに、前野健太と松たか子が音と歌の要素を加えて、見事に「せつなおかしいミュージカル」を完成させたのだ。

今、松たか子が立つ場所

弱さやうしろめたさを抱えながらも、どこか他人事で片付けることができるずうずうしさ。言葉を失うほどの不幸や悲劇を内に秘めながらも、決して立ち止まらない。そんな女を演じきる松たか子の3大傑作としては、『カルテット』(2017年・TBS)、『スイッチ』(2020年・テレ朝)、そして現在放送中の『大豆田とわ子と三人の元夫』(フジ系)を挙げたい。脚本はすべて坂元裕二なので、「おいおい、坂元教信者の布教活動かよ」と言われても仕方がない。

でも、いずれもしっくりくる役ばかり。どんな役かというと、楚々としているように見えるが、日常では頻繁に歯ぎしりや舌打ちをして毒づいたり、世や人を密かに呪ったりする。時には正々堂々と呪う。複雑で厄介な思いを素直に吐き出すことをいとわない役。かろやかに世間体や常識を蹴飛ばして、自分と大切な人を全力で守る。冒頭で私が勝手に妄想していた松たか子像と重なるのだ。

今、彼女が立っている場所はとても心地よく感じる。女に生まれてくれてありがとう、と言いたい。この先も、伝統や因習の壁や天井にとらわれず、我が道をありのままに進んでくれたら本望。

(文中敬称略)

吉田 潮 コラムニスト・イラストレーター

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よしだ うしお / Ushio Yoshida

1972年生まれ。おひつじ座のB型。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。2010年4月より『週刊新潮』にて「TVふうーん録」の連載開始。2016年9月より東京新聞の放送芸能欄のコラム「風向計」の連載開始。テレビ「週刊フジテレビ批評」「Live News it!」(ともにフジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。

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