「妻の自殺は誰の責任?」、福島の静かな危機 震災関連死裁判の行方

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幹夫さんは当時をこう振り返る。「2人で食材を買いにスーパーに行くと、みんなが自分を見ていると言い始めた。避難者で田舎者だから見ていると言っていた。みんなじろじろ見るから、外に出て歩きたくないと言った」

そのころ、幹夫さんとはま子さんが働いていた養鶏場が閉鎖し、2人は仕事も失った。

はま子さんは住宅ローンの支払いを心配し、「これから仕事もなくなっちゃって、どうして生きていくの、どうやって生きていくの」と常に言っていたという。

2011年6月30日、幹夫さんははま子さんにせがまれて家に戻った。1泊の約束だった。はま子さんは料理をしたり幸せそうに見えたという。

はま子さんは言った。「あんた、明日本当に帰るの」

「帰るよ。朝早く起きて、草刈りを終えたら10時くらいに出るよ」

「私は絶対アパートなんて帰らない。1人だってここに残るから」

こんな会話を交わした後、2人は夜9時ごろに就寝した。幹夫さんが夜中の1時ごろにトイレから寝室に戻ると、はま子さんに手をつかまれた。「何か言ったと思うが、覚えていない。泣きじゃくっていた。もうどんな言葉だったんだか。手を握り合って寝た」

翌朝、幹夫さんは草刈りをしていたとき、遠くにある大きな木の下で炎が上がっているのを見た。はま子さんがいつものようにごみを燃やしているのだろうと思い、幹夫さんは草刈りを続けた。

(斎藤真理記者、リサ・トワロナイト記者、翻訳:伊藤典子、編集:宮井伸明)

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