「五輪反対」で池江璃花子を批判する人の理不尽 「奇跡の復活」彼女を悩ませる心なき声の正体
大病から立ち直ろうとしている20歳の大学生がこれほど叩かれている最大の理由は、コロナ禍の切迫した状況であることは間違いないでしょう。
ただ、それ以上に問題を深刻化させているのは、「池江選手をめぐる周囲の動きを多くの人々が感じ取っている」こと。東京オリンピックの運営サイドが池江選手を前面に出し、メディアが美談として大々的に報じるなど、「開催機運を高めるシンボルにしよう」という思惑を感じた人々が、池江選手個人を批判しているのです。
実際、池江選手の力感あふれる泳ぎや、まっすぐな瞳で前向きに話す姿を見た人々のなかには、「彼女のためにオリンピックを開催してほしい」という声を上げる人が少なくありません。また、「池江選手の活躍がコロナ禍に苦しむ人々を驚かせ、勇気を与えている」のも事実でしょう。そんな運営サイドやメディアの思惑や、「人々に勇気を与えている」という事実が、東京オリンピック開催に反対する人々の警戒心を募らせているのです。
しかし、だからと言って、「大病を克服した20歳の女性に心ない言葉を浴びせていい」「一人の選手に東京オリンピック開催や感染症予防の責任を求めていい」というわけではないでしょう。「大病に苦しんだ池江選手だからこそ、医療現場の現状を鑑みてオリンピック開催には慎重な発言をしてほしい」という意見は正論である一方、競技以外の大きなものを背負わせすぎのような気がしてならないのです。
不満や怒りをぶつける相手を間違えている
競技に人生を捧げてきた人に、競技復帰を目指して闘病生活を耐え抜いたばかりの人に、「東京オリンピックを語るな」と求めるのは、個人の尊厳を傷つけることにつながらないでしょうか。そもそも厳しい言葉を浴びせている人々が対峙すべき相手は、新型コロナウイルスであり、対策を講じる政府や自治体、感染予防意識の低い一般の人々。さらに前述した東京オリンピックの運営サイドやメディアであって池江選手ではなく、不満や怒りをぶつける相手を間違えているのです。
池江選手は突然、人生を懸けた目標を奪われ、長期にわたる闘病に挑み、医師の許可を得るとすぐさまプールに戻り、全力でタイムを縮め続けるなど、まっすぐな姿を見せ続けてきました。そんな自分の人生を全力で生きる彼女に「東京オリンピックを語るな」と求めるのは、さすがに酷でしょう。
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