品川西口「京急の顔」ホテル、半世紀の歴史に幕 社運かけ建設、旧「ホテルパシフィック」閉館

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ホテルパシフィック東京は老朽化などを理由に2010年9月末で営業を終了した。その後、2011年4月にシナガワグースが開業。施設内に「京急EXイン品川駅前」(2018年10月「京急EXホテル品川」にリブランド)がオープンした。飲食施設はテナントのグループ外企業の運営となり、宴会場はレストランや婚礼施設に、プールは釣り堀へと変わった。宴会や旅行がカジュアルな形へと変化するなか、宿泊以外の施設を手放してコストを抑えることは競争力の向上につながる。

「京急EXホテル品川」の小川清充総支配人(記者撮影)

京急電鉄出身でEXインの開業準備から携わってきた小川清充総支配人は「当初は『なんでこんなにサービスが悪いんだ』とクレームの雨あられでした」と10年前を振り返る。同じ建物であるだけに、フルサービスのホテルパシフィック時代を知るリピーターの目には、宿泊に特化したビジネスホテルの対応が相当不満に映ったようだ。

だが、駅前の好立地と広い部屋に加え、宿泊特化型なりの顧客満足度(CS)の重視が奏功し、900以上ある客室はビジネス利用が少ない日曜・祝日以外はほぼ満室という状況が続く。宿泊収入はコロナ禍前まで前年を下回ることはなく、予約サイトから全国トップの成績で表彰されることもあった。小川総支配人は「運営が軌道に乗って会社として急成長し、新たなファンもたくさんできた。閉館は寂しいがやり切った感はある」と話す。

今回コロナ禍を受けて閉館するわけではないが、オープン当時からすでに老朽化していた設備を使って営業を続けていくには限界が来ていたようだ。

最後は“満開”のメッセージ

閉館にあたって、スタッフがロビーに桜の木を模して訪れた人から寄せ書きを募るコーナーを設けたところ、「結婚式でお世話になりました」「パパとママがけっこんしきをあげたそうです」「このホテルが大好きでした」「一生の思い出をありがとう」などと書かれた花びら型のカードで“満開”になるほどのメッセージが寄せられた。小川総支配人によると、夜遅くに「なくなっちゃうの?」と電話をかけてきた高齢の女性もいたそうだ。

宿泊特化型のビジネスホテルには豪華すぎる内装が残されていた館内。ホテルパシフィック建設時の意気込みがうかがえる(記者撮影)
ロビーに設置したボードにはたくさんのメッセージが寄せられた(記者撮影)

最終日の2021年3月31日、シナガワグース周辺は散り始めた桜の花びらが風に舞っていた。その中で、名残惜しそうにスマートフォンのカメラを向けたり、「昔よく連れてきてもらった思い出の場所なんだ」と建物をバックに記念撮影したりする人の姿があった。

京急はシナガワグース跡地をオフィスのほか、国際会議や展示会といった「MICE」、商業・ホテルなどを用途とする大型複合施設として再開発する。共同事業者のトヨタ自動車はここにオフィスを構えることを計画している。東海道新幹線の駅があり、国際線も就航する羽田空港へ京急線でアクセスできるうえ、リニア中央新幹線が開業すれば名古屋とも40分で結ばれる品川の存在感はますます高まりそうだ。半世紀前、多くの人の期待を背負い、この地の発展を牽引したホテルパシフィックのパイオニア精神は次の時代へ引き継がれていく。

橋村 季真 東洋経済 記者

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はしむら きしん / Kishin Hashimura

三重県生まれ。大阪大学文学部卒。経済紙のデジタル部門の記者として、霞が関や永田町から政治・経済ニュースを速報。2018年8月から現職。現地取材にこだわり、全国の交通事業者の取り組みを紹介することに力を入れている。

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