品川西口「京急の顔」ホテル、半世紀の歴史に幕 社運かけ建設、旧「ホテルパシフィック」閉館

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「京急ミュージアム」に所蔵されている1970年10月の上棟式のパンフレットによると、総工費は160億円。外壁には有田焼のタイルを360万枚使用しており「真珠のような趣きをあたえ、外観を特長づけることになっています」と誇らしげだ。

また、開業時のホテルパシフィックの料金表には、シングル1泊4000円より、との記載がある。当時の所得水準からすれば安いわけではない。6階から27階まで1000室の客室があり、最上部にはリビングがベッドルームとらせん階段で結ばれた2階式の「ロイヤルスイート」(1泊10万円)まであった。

自慢は高層階からの眺め

大規模なのは室数だけでない。駐車場は600台収容。大宴会場1、中・小宴会場13、高層宴会場7を備えた。レストラン・バーは洋食、中華、和食、セラーバーなど11カ所。都心でさえ超高層建築が少なかった当時、30階のラウンジ「ブルーパシフィック」からの眺めはほかでは味わえない格別のものだったに違いない。

サービス面では、開業にあたって京急社員でホテル事業希望者の一部が、東急ホテルや東京プリンスホテル、帝国ホテルで実習をしたという記録がある。1979年にエールフランス系のメリディアンチェーンに加わったことでヨーロッパからの宿泊客が増加。航空会社の乗務員の利用も目立ったという。

開業以来、国際観光ホテルの役割を担ったほか、立地と設備の良さから結婚式・披露宴の会場としても多くのカップルに選ばれてきた。大宴会場「萬葉」では国際的なレセプションだけでなく、屋台コーナーが人気の「しながわ夏まつり」が毎年恒例のイベントだった。1988年には京急電鉄の社歌『人間が好きだから』がここでお披露目された。

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