日本に住む黒人作家「アジア系差別」に思うこと 差別が別の差別を呼ぶ悪循環をどう考えるか

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それでもアジア系は白人をロールモデルに見立て、白人を見習う。そのロールモデルがいかに黒人を軽んじ、不当に扱うかを見て学び、同じように振る舞うことが非常に多いのだ。

したがって、こうした状況がたびたび再燃し、黒人とアジア系の間の緊張が頂点に達するのは不思議なことではない。過去にはアジア系経営者、黒人客ともに殺害された例もある。こうした緊張はずっと続いている。私が大学生だった1992年のロサンゼルス暴動の際には、韓国系と黒人の間の緊張がひどく高まり、街中での銃撃戦にまで発展した。

マイノリティがマイノリティを差別する代償

こうした状況において皮肉なのは、アメリカでは、黒人のみならずすべての非白人を疎外し、よそ者扱いし、中傷し、犯罪者扱いするのが優位な考え方となってしまいがち、ということだ。  

悪いのは犯罪であり、警察の黒人に対する「過度な攻撃」はしかたのないことで、警察の野蛮な振る舞いと、その結果として起こりうる死は、必要悪にすぎないと考えている非白人がいるのなら、彼らは特定の人種に汚名を着せていると警戒しなければいけない。

これは、結局はトラブルを招くことになる。なぜならマイノリティが、別のマイノリティ集団に向けられた不当な行為を受け入れていると、必ず自分にも跳ね返ってくるからだ。多くのアジア系アメリカ人は今、身の毛もよだつような思いでそのことを学んでいる。

黒人に犯罪者の烙印を押している人たちが、アジア系に新型コロナ発生源・感染源という烙印を押している。コロナの発生は結局のところ黒人コミュニティとアジア系コミュニティ双方にとっての警鐘となったのだ。  

マーティン・ルーサー・キング Jr. はかつてこう言った。「どこにおける不正であっても、それはあらゆるところへの公正への脅威となる……どのようなことであれ、何かに直接影響することはすべてに間接的に影響するのだ」。

次ページアジア系へのヘイトが黒人へのヘイトも呼ぶ
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