THE昭和「どぶ板選挙」がいまだ健在な深いワケ 「何年も変わらないこと」の裏に潜む合理性
何となく苦手だと思っていた人でも、一度会って食事をすれば打ち解ける、ということがよくあります。感情は五感とリンクしていますので、感情を動かすには文章よりも画像、画像よりも映像が有利です。さらには音や匂い、手触りなどを総動員できるリアルな場でのふれあいは、「心を動かす」のにとても有効な手段です。
街角に立って笑顔を振りまき、コロナ下では難しいですが握手などをして触れ合ったりすることで、五感を刺激して心を動かし、好意を上書きすることができます。ホームページやSNSでは、政策への理解を求めるなど左脳に働きかけることは可能ですが、感情を動かすのはなかなか難しいでしょう。それを実現するには、やはり「どぶ板選挙」なのです。
「何十年も変わらないこと=悪」ではない
「覚えてもらう」「好きになってもらう」で最終選考まで残ることができたうえで、商品を最終的に「選んでもらう」には、その商品独自の価値が必要です。一度使ってもらい、その後リピートしてもらうことまでを考えたら、そうした独自の価値はなおのこと重要です。
だからこそ、まずは価値を定義し、その価値をつくり出す、というのが、マーケティングにおける「価値を伝える」の前工程になっているのです。
選挙の候補者で言えば、この独自の価値は政治家としての理念であり、政策であり、それを実現してきた実績にあたるでしょう。
そうした理念や政策をもつ候補者の視点に立つと、「どぶ板選挙」は欠くことのできない手段であるはずです。高邁な理念や政策も、それをしっかりと伝えるには、覚えてもらい、好きになってもらうことで、土俵に上がらせてもらう必要があるからです。
何十年も変わらないことは、とかく批判の対象になりやすいですが、このように合理的な理由があることもあり得ます。そうであるならば、「どぶ板選挙」のような慣行をただ「時代遅れ」とののしるのは、もったいないことかもしれません。そこには、新たな学びが隠れているかもしれないからです。
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