丸山:うまくいった理由の2番目は、いいゲームを作る人たちを集められたこと。それまでゲームを作る人たちはみんな表に名前が出なかった。音楽だったら、この曲のプロデューサーは小室哲哉ですとか、エンジニアは誰それですとかクレジットが明記されていて、ユーザーも「この人の作品なら、そこそこいいものだな」って名前で判断するじゃない。
でもゲームはわざと制作者のイニシャルだけで、誰が作ったかわからないようにしているわけ。なぜならちょっといいゲームを作ると、すぐ他社から引き抜きが入るから。ということは、一生懸命作った人が自分が作ったと世の中に誇れなくて、モチベーションが上がらない。
「映画も音楽も出版も、クリエーターは自分の名前で発表しているのに、お前らが自分の名前で発表しないのは変だと思わないか」「俺は音楽をやってたけど、小室哲哉なんか、そうとう女にモテてるぞ。お前らはまったく女にモテてないだろう。本当はめちゃくちゃモテていいはずだ」というふうに説得して、いいクリエーターを集めて、そこにどんどん取材を入れたのよ。
そういうふうに任天堂の弱みをひとつずつ突いていった。それには、ソニーだけじゃなくてソニー・ミュージックのチームの視点も入ったことが役に立ったね。
エレクトロニクスとは異業種だからできたこと
三宅:ソニーはどのくらい自由度を与えてくれたのですか。
丸山:予算は思い切って与えてくれたね。プレイステーションの製造にはアメリカ製の高価なチップが必要だったから、予算の大部分を使ってチップを発注した。でも100万個という制限がついたから、あっと言う前に支払いが百何十億になっちゃう。これはプレイステーションを100万台売らないとえらいことになる、となった。
三宅:すごいプレッシャーですね。
丸山:でも俺は最初、それほどプレッシャーだと感じなかった。つまり、ソニーほどの電機メーカーなら、こんなこと日常茶飯事だと思っていたから。それで徳中さんに、「徳さんすごいね、ソニーってこんな予算のかけ方しているんだから、度胸つくよね」と言ったら、「何言ってるの丸山さん、こんな初めての製品の部品代をこれだけ一気に払うなんてこと、ソニーだって会社始まって以来ですよ。僕だって気持ち悪くなりそうですよ」だって(笑)。
音楽なら、このアーティストが有望だから力を入れるといったって、せいぜい3億とか4億とかそんなものでしょう。それを売れるか売れないかわからない段階で、百何十億放り込んじゃって、会社からもらった予算の80~90%使っちゃうんだから、ドキドキだよね。
三宅:逆にいうと、なぜソニーはそれを決定できたのでしょう。
丸山:そんなの知らないよ(笑)。とにかく、「予算をくれなきゃ始まらない」と言って、予算をつけてもらったわけ。それで「いくぜ100万台」というのが、ユーザーに対する最初のアピールの文句になった。
三宅:自分たちのノルマを客に見せたと(笑)。
丸山:なぜならソニーのようなメーカーがゲームに進出したところで、成功するわけがないと思われていたから。任天堂の山内社長(当時)なんか、「プレイステーションが50万台以上売れたら、俺は任天堂の社長をやめる」と言っていたくらいだからね。
三宅:そのときスーパーファミコンは何万台くらいだったのでしょうか。
丸山:500万台くらいかなぁ。また同じような時期に、セガサターンがスタートしたでしょう。
三宅:三つ巴になりましたね。
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