丸山:だけどやっぱり最初にゲームを引っ張るのはゲームおたくだから、彼らから見た場合、任天堂の次はセガが有力で、ソニーはどうせ優等生的で面白くないに違いないと思われていた。まあ、逆風だよね。
それにソニーは、「世界のソニー」だけあって、当時のゲーム業界から見ると「上から目線」なところがあったわけ。ところが俺ら、ソニー・ミュージックから来たチームはエンターテインメント出身だから、いつも地べたをはいずり回っている。ソニーのサラリーマンが付き合う人とミュージシャンとは全然違うし、仕事の仕方も違う。俺たちは、頭を下げたりヨイショしたり、泣き落とししたりが平気。だからゲーム業界の側でも、「お、今までのソニーと違うな」となる。エレクトロニクスとは異業種のエンターテインメント業界を知っていたからこそ、プレイステーションのチームはうまく業界に溶け込めた。
三宅:それでソフトが次々に出るようになったら、あっと言う間に100万台をクリアして、翌年秋のクリスマス商戦に合わせてアメリカでも販売をスタートした。
どんどん成功して、いつの間にかスーパーファミコンにも勝ちましたね。
丸山:スーパーファミコンよりは、どちらかと言うとセガサターンとの戦いだったね。セガサターンとプレイステーションはスーパーファミコンより一足早く立体的な3Dの画面になっていたから。
三宅:そして『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』などの大ヒットシリーズをプレイステーションでも遊べるようにして、勝利が決定的になった。
会社を動かすのはナンバー2
三宅:丸山さんはソニー・ミュージックとソニー・コンピュータエンターテインメントの両方にいらっしゃいましたね。その両方の視点を持つ人がいたことは、プレイステーションにとって大きな意義があったのだと思いました。
丸山:俺は両方の会社にいて、しかも一時期、「THE・副」って言われてたのよ。トップじゃなくて、必ずナンバー2だから。
三宅:裏で操っていたわけですか(笑)。
丸山:会社って基本的に「副」が経営しているわけですよ。俺がソニー・ミュージックの社長になったら、権限が何もないことに気がついた。だって基本的には取締役会が権限を持っているから、社長決裁なんて何もない。
三宅:何もないんですか!?
丸山:まあ一般的には「社長がやれと言っているから」ということで、取締役会でそれが通るんだけどね。でも外部取締役が増えると、「なんでこれをするんですか」なんて、見当外れの質問が来てややこしいじゃない。
三宅:わかる気がします(笑)。
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