着席列車の元祖「ホームライナー」、関東で消滅 3月ダイヤ改正で「湘南」など3つの列車が消える

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3月のダイヤ改正で消滅する「湘南ライナー」(写真:ニングル/PIXTA)

2021年3月13日のダイヤ改正では、東海道線で特急「湘南」が登場し、代わって朝と夕方から夜間にかけての通勤時間帯に運転されていた「湘南ライナー」・「おはようライナー新宿」・「ホームライナー小田原」が消える。今回消滅する3つの列車は、「ホームライナー」と呼ばれる着席列車だ。

ホームライナーは通勤時間帯に有料で着席できる列車としてJR線で運転されているもので、運賃のほかに料金を支払う形としては新幹線などの特急に似ているが、ホームライナーは速さや車内設備のよさよりも座って利用できるところに重点を置いた列車だ。

JR四国を除くJR旅客各社でホームライナーが運転された実績があり、首都圏で運転された列車を発祥としているが、各社とも縮小の傾向だ。今回、東海道線のホームライナーが特急「湘南」になることで、首都圏からホームライナーが消える。

回送列車の有効活用から始まった

ホームライナーは、国鉄時代の1984年から運転が始まった列車だ。上野を発着する特急列車は東大宮にある車両基地まで回送したが、これを活用して上野→大宮間で運転された。当時、上野からは長野方面の特急「あさま」や常磐線方面の特急「ひたち」が運転されていたのだが、まずは「あさま」の回送をホームライナーとしたのが始まりだ。

1984年6月の運転開始当初は列車の名前がなく、「ホームライナー大宮」という名前が付いたのが翌月のことだった。構想段階では、利用者が居るのか疑問視する声が部内にあったそうだが、実際に運転が始まると予想以上の反響があり、運転区間が一気に広まった。

1984年7月から、房総方面への特急の回送を有効活用した「ホームライナー津田沼」が運転されたのをはじめ、1986年11月から東海道線の「湘南ライナー」、1989年3月からは常磐線の「ホームライナー土浦」、1990年3月から横須賀線の「おはようライナー逗子」と「ホームライナー逗子」、1991年3月からは中央線で「おはようライナー高尾」「ホームライナー高尾」「おはようライナー青梅」「ホームライナー青梅」が新たに設定され、首都圏の主な路線ではホームライナーが走っていた時期があった。

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