大垣駅からは2本のローカル線が分かれている。1つは樽見鉄道樽見線。揖斐川の支流である根尾川に沿ってこちらも両白山地を北へのぼってゆく路線だ。明知鉄道や長良川鉄道と同じく1980年代に国鉄から第三セクターに転換された歴史を持ち、転換直後はセメント輸送でにぎわった。
赤字ローカル線とは言われたが、それでも順調に稼いで“第三セクターの優良児”と呼ばれたこともあったという。が、そんな時代も今は昔。2006年にセメント輸送が廃止されると、あとは赤字に苦しむどこにでもある地方ローカル線になっている。
もう1つの大垣駅からのローカル線は養老鉄道養老線。もとは近鉄の一路線で、2007年に近鉄の子会社として独立。いまでは線路などの施設を沿線自治体が資金を拠出した養老線管理機構が保有し、養老鉄道は運行だけを担う上下分離方式を採っている。北は揖斐川のほとりの揖斐駅、南は揖斐川の右岸を下って三重県に入って桑名まで。途中には親孝行の養老孝子伝説が伝わる養老の滝と養老山があり、養老鉄道随一の観光スポットだ。
木曽三川と並んで走る
なので、養老鉄道というと養老山ばかりが注目されがちだが、他にも歴史的なスポットが潜む。養老鉄道で桑名駅寄りの岐阜・愛知・三重の三県境付近は江戸時代中期の“宝暦治水”事件の現場である。
木曽三川はいまも昔も水害が悩みのタネで、水害から田畑や家を守るために堤防を築いてその中に暮らす“輪中集落”が生まれたのもこのあたり。なんでも、徳川御三家である尾張藩、つまり愛知県側は手厚く堤防が築かれており、反面手薄だった西側はたびたび洪水にやられていたという。
宝暦治水とは、そんな木曽三川の治水工事を薩摩藩に命じたものだ。ところが、工事は難航してその過程で薩摩藩士51人が自刃、33人が病死してしまった。この工事で莫大な支出を強いられて藩財政に窮した薩摩藩は藩政改革を断行。それが幕末の活躍につながったという見方もあるとか。
いずれにしても、岐阜県の鉄道をゆけば日本の歴史がそこかしこに刻まれているといっていい。通り過ぎるばかりが鉄道の旅の楽しみではない。名古屋を楽しみ、次なる目的地へとあっさりと抜けてしまいがちな岐阜県も、三セクあり、私鉄あり、山奥の路線あり、洪水に悩まされた川沿いの路線あり、と実に多様性に富んでいるのだ。
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