三陸鉄道はなぜ「復興のシンボル」になったのか 記者が振り返る震災から完全復活までの10年間

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3年以上にわたる協議の末、JR東日本が線路や設備の復旧費用を自社で負担したうえで、設備や運行事業を三陸鉄道や地元に無償譲渡することが2014年12月に決まった。同区間はもともと利用者が少ないため、JR東日本は運行後の赤字を負担する一時金として30億円を県に支払った。JR東日本は三陸鉄道を応援するほうが長い目で見れば得策と判断したのだろう。地元の粘り勝ちだ。

釜石―宮古間の工事は2015年3月に始まった。工事を担当する鉄建建設の案内で、2016年に11月に工事現場を訪ねた。閉伊川橋梁の復旧工事を行っていた作業員は、2年前までは北海道新幹線の高架橋を造っていて、「完成してすぐ閉伊川橋梁の工事に駆り出された」という。現場の作業員の多くは単身赴任。年末ぎりぎりまで作業を続け、自宅にとんぼ帰りして家族と過ごした後は、1月4日に現場に戻り、北風の吹き荒れる現場で黙々と作業をこなす。

2019年3月、釜石―宮古間の工事も完了し、南リアス線から北リアス線までが1本で結ばれ、盛―久慈間がリアス線となった。記念式典には「あまちゃん」で主役を務めた女優、のんさんがお祝いに駆けつけた。2016年に三陸鉄道の社長を退いた望月社長の姿もあった。

震災復興のシンボルとして

宮古―釜石間の開業効果に加え、ラグビーワールドカップが釜石で開催されたことによる利用者の増加もあり、三陸鉄道の売上高は2018年度の3.2億円から2019年度は6.1億円へと倍増した。2020年度は新型コロナウイルス感染拡大の影響で団体客のキャンセルが相次ぎ苦戦しているが、現場の鉄道マンたちは、歯を食いしばって運行を続けている。

三陸鉄道が「東北復興のシンボル」になったきっかけは何だったのだろうか。それは震災からわずか5日後に運賃無料の災害復興支援列車を運行したことにほかならない。そして、早々と「3年で復旧させる」と宣言したことだ。もし躊躇していたら、鉄路ではなくBRTでの復旧になっていたかもしれないし、廃線になっていた可能性だってある。運行して地域の役に立ちたいという決意をいち早く行動や言葉で示したからこそ、日本中に三陸鉄道を応援しようというムードが生まれたのだ。

経済記者の立場としては、赤字ローカル線の存廃を議論する場合、感情に流されずに採算性や交通機関としての重要性をきちんと見極めるべきだと考えているが、三陸鉄道については経済論を超えた「応援したくなる何か」があったと感じる。

震災から10年を迎える3月11日、三陸鉄道は盛から久慈まで「感謝のリレー列車」を運行する予定だ。

大坂 直樹 東洋経済 記者

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おおさか なおき / Naoki Osaka

1963年函館生まれ埼玉育ち。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。生命保険会社の国際部やブリュッセル駐在の後、2000年東洋経済新報社入社。週刊東洋経済副編集長、会社四季報副編集長を経て東洋経済オンライン「鉄道最前線」を立ち上げる。製造業から小売業まで幅広い取材経験を基に現在は鉄道業界の記事を積極的に執筆。JR全線完乗。日本証券アナリスト協会検定会員。国際公認投資アナリスト。東京五輪・パラにボランティア参加。プレスチームの一員として国内外の報道対応に奔走したのは貴重な経験。

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