三陸鉄道はなぜ「復興のシンボル」になったのか 記者が振り返る震災から完全復活までの10年間

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その後も東北地方には繰り返し足を運んだ。被災企業の事業再開に向けた取り組みを取材するために4~5月にかけて宮城県内や岩手県内の企業に話を聞いて回った。

一関からタクシーに乗り陸前高田経由で大船渡に向かったときのことだ。途中、運転手さんに陸前高田駅に行ってほしいと頼んで向かってもらった。だが、カーナビは駅の場所を示していたものの、そこには瓦礫が散乱するばかりで駅の痕跡は何もなかった。「この辺なんですけどねえ」。そう話す運転手さんの困った様子を見ると、正確な場所を探してほしいとはとても言えなかった。

鉄道インフラはすさまじいほどに破壊されていたが、現場の人たちは、絶対に復旧させるという信念を持っていた。望月社長は震災の翌月の4月には県に対して「3年で完全復旧させたい」という意思表示を行った。その話を聞いた県職員は「6年はかかる。とても無理だ」と驚いたというが、少しでも早く復旧させて被災した人たちを勇気づけるためには「3年で復旧」と言葉で示すことが重要だった。

もっとも、望月社長は無茶を言ったわけではない。自分の目で被災箇所を確かめた上で、国が復旧費用の8割を負担してくれれば3年で全区間を復旧できると考えていた。その費用は、7月に現地を視察に訪れた当時の国土交通大臣が、望月社長に「予算をつける」とこっそり教えてくれた。国にも「三陸鉄道を東北復興のシンボルにしたい」という思いがあった。

海外からも追い風が吹いた。クウェート政府も4月に「石油500万バレルを無償提供する」と発表した。当時の価格で約450億円に相当する。石油の売却代金の一部は三陸鉄道にも配分され、被災車両の新造などに活用された。新造された車両の側面にはクウェートへの感謝の言葉がアラビア語、英語、日本語で表記されている。

「あまちゃん」ブームが復興後押し

11月にはNHKのスタッフたちがドラマ作りの取材に沿線を訪れた。望月社長は、「単発ドラマかな」と思っていたが、実際には2013年に大ブームを巻き起こした朝ドラ「あまちゃん」として結実した。

被災した三陸鉄道の南リアス線(盛―釜石間)と北リアス線(宮古―久慈間)は2014年4月に全線再開を果たした。あまちゃんブームも後押しして全国のファンが運行再開を祝うために沿線各所に駆けつけた。岩手銀行系のシンクタンク、岩手経済研究所によると、岩手県経済におけるあまちゃんの経済波及効果は32億円に及ぶという。

三陸鉄道の南リアス線と北リアス線をつなぐJR山田線・釜石―宮古間も被災していた。被災箇所が著しく多く、JR東日本は鉄道での復旧を断念し、BRT(バス高速輸送システム)による復旧を提案したが、地元自治体は鉄道での復旧にこだわった。

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