三陸鉄道はなぜ「復興のシンボル」になったのか 記者が振り返る震災から完全復活までの10年間

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東北の鉄道被災をさまざまな角度から検証するための材料はそろった。だが、特集の核となる現地取材をどうするか。東北の交通が寸断されている状況では被災場所をあちこち訪ねて回ることはできず、1つに絞らないといけない。思案する中、新聞の小さな記事に目にとまった。三陸鉄道が地震のわずか5日後の16日、いち早く一部区間を運行再開した。しかも、運賃無料の「災害復興支援列車」だという。

「これだ!」と思った。今でこそ誰もが知っている美談だが、当時は多くの震災関連の記事に埋もれて、一部運行再開という事実を伝える程度の内容しか報じられていなかった。三陸鉄道はなぜこれほど早く再開にこぎつけることができたのか。そこにはどのような思いがあったのか。

若手記者が望月正彦社長とのアポイントを取ってくれ、29日に現地で話を聞けることになった。

青森経由で現地へ

3月28日に現地に向けて出発した。東京から宮古へは新幹線で盛岡へ行き、そこからバスで宮古に向かうのが一般的なルートだが、東北新幹線・那須塩原―盛岡間は運休状態で新幹線が使えない。そのため空路で青森空港に行き、新青森から部分的に動いている新幹線で盛岡へ南下した。

私自身、岩手県盛岡市に2年半ほど住んでいたことがあり、仕事の関係で三陸鉄道の本社がある宮古をはじめ、沿線のあちこちに何度も足を運んだことがある。自分が覚えている以前の風景とどう変わったのだろうか。自分の目で確かめたかった。

28日夜に盛岡に到着すると、駅前はビルの明かりも少なくひっそりと静まり返っていた。宿泊したホテルはバスルームが使えなかった。翌朝のバスで宮古に向かった。バスは山の中を走るため、車窓に流れるのは地震の傷痕がまったくない見慣れた風景だ。

宮古に近づくと、道の駅の駐車場や学校の校庭に、カーキ色をした自衛隊のトラックやテントがずらりと並んでいるのが見えた。被災現場に向かっているのだという現実に引き戻された。

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