「周遊券」の旅、現代の割引切符で再現できるか 国鉄時代に存在した便利な切符はほぼ姿を消す

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さらに旅の記録を紐解くと、京都タワー展望券100円などとあるなか、さまざまな駅で駅弁を購入しているが、その額は300円である。現在でもコンビニで小さめのお弁当は300円程度でも購入できるので、当時の交通費は諸物価に対してかなり安かったことがわかる。

そういえば韓国、台湾などを旅すると、宿泊などの物価は日本と大差ないのに、鉄道運賃はかなり割安に感じ、タイなどは0がひとつ足りないのではと思ってしまうほど普通列車の運賃は安い。日本も国鉄だった頃は、諸物価に対してかなり割安な運賃設定だったのだ。国鉄運賃の改定には、当時の運輸省の認可だけではなく国会を通す必要があり、重要な審議があると国鉄運賃の話は後回しにされ、なかなか改定できなかったのだが。

目的地の往復部分でも途中下車できた

私にとって楽しかったことはほかにもあり、目的エリアの往復部分でも途中下車することができた。1975年に「福岡・唐津ミニ周遊券」で初めて九州へ上陸しているが、東京発はいつもの10時発「桜島・高千穂」ながら、名古屋で下車し「兼六」で米原へ、「たかやま」で京都へ、京都で夜行の「天草」を捕まえて翌日九州入りしている。急行列車乗り継ぎ旅である。同様に復路も「音戸」「つくし」(ここで夜行)「阿蘇」「のりくら」とリレーし、最後はやはり「桜島・高千穂」で帰京している。すべてが国鉄路線だったため、目的地は九州であるが、そこへの往復部分も楽しむことができ、まさに家を出た時からが旅であった。急行列車なら追加料金不要で何回でも乗れる。楽しい鉄道旅行ができたのだ。

現在より他の交通機関との連携が緊密だった部分もあり、東京―大阪間では国鉄バスの夜行バスが、四国ワイド周遊券では、2航路あった国鉄連絡船以外に、関西汽船、関西汽船と共同運航する加藤汽船の航路が利用できた。

こんなお得な周遊券であったが、JRとなってからはJR各社にまたがる割引切符が減り、周遊券はルールを一新、周遊エリアの「ゾーン券」と周遊エリアまでの往復部分を組み合わせるタイプとなる。時代に合わせてゾーン内では特急自由席も利用できるようになるものの、往復部分は単なる乗車券の割引だけだったので、別途特急券などを購入する必要があり、トータルではかなり割高になった。

いっぽう、航空機の定着や高速バスが割安になっていたものの、「ゾーン券」部分だけでは購入できなかったので、使い勝手が悪く、結局すべての周遊券が姿を消したのである。私も新ルールになった周遊券は一度も利用経験がなく、日本の鉄道への興味が薄らぎ、周遊パスのある海外の鉄道に興味が移ってしまった。

次ページ現代版周遊券は各社ごとにあるが・・・
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