「周遊券」の旅、現代の割引切符で再現できるか 国鉄時代に存在した便利な切符はほぼ姿を消す

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国鉄時代の鉄道旅は周遊券が最適だった(筆者撮影)

かつて国鉄だった時代、鉄道旅行に便利な周遊券があった。

一般周遊券はオーダーメイドのもので、国鉄に一定以上の距離を乗り、周遊指定地を何カ所かめぐるものであったが、あまりポピュラーではなく、私も利用経験がない。

それに対して、いわばレディメイドの周遊券は「ワイド周遊券」「ミニ周遊券」と呼ばれ、「北海道ワイド周遊券」「九州ワイド周遊券」「京阪神ミニ周遊券」などとさまざまな地域行きがあった。もともとは広い地域のもので、単に「周遊券」、あるいは「均一周遊券」と呼ばれたが、後に小振りな「ミニ周遊券」が発売され、元々のものが「ワイド周遊券」となったのである。「ワイド」と「ミニ」の差は、周遊できる地域の広さと有効期間で、その他のルールはほぼ同じであった。

たとえば、東京発の「九州ワイド周遊券」なら、東京から九州までの往復乗車券+九州内乗り放題で、急行列車自由席も乗り放題、特急や新幹線を利用する場合は特急券のみ別途購入する必要があった。東京―九州間の往復など、長距離には特急券を購入して新幹線や寝台特急を利用する人が多かったが、周遊地域内では、その頃豊富に運転していた急行列車の自由席利用で十分だった。

このほか、北海道行きや九州行きなどへは「立体周遊券」という、片道だけ航空機が利用できるタイプもあった。

「京阪神ミニ」で関西乗り鉄旅

私が初めて周遊券を利用したのは1972年、中学2年の夏休みだった。姉が大阪で一人暮らしをしていたので、そこへ転がり込み、そのときに「京阪神ミニ周遊券」を利用した。姉のアパートに寝泊まりし、毎日周遊券で関西国鉄の「乗り鉄」を楽しんだのである。東海道本線・山陽本線は草津―明石間、阪和線は鳳(おおとり)まで、奈良線、そして関西本線で囲まれる地域が乗り放題だった。

京阪神間では新大阪すら通過する「新快速」の速さに驚き、阪和線では旧型国電に乗車、当時まだ電化していなかった関西本線や奈良線ではキハ35系に揺られ、山陰本線ではDF50の引く客車列車で周遊範囲の亀岡まで乗車した。都会の地域が多い「京阪神ミニ周遊券」の範囲では、亀岡はすでに「山陰」といった田舎風情だった。保津峡界隈は車窓が美しく、思わず途中下車したら夕立になった記憶もある。亀岡から京都へは、ここぞとばかりに急行「丹後」に乗ったら、天橋立からの海水浴の帰り客で超満員、閉口してしまったのもいい思い出である。

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