「ケインズの評価」が時代により180度変わる訳 「悪の首領」か「正義のヒーロー」か、それとも?

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同時に、一応ケインズ『一般理論』のキモを理解してもらおう。もちろん、この一冊でケインズ理論のすべてがわかる、などというムシのいい話はない。すみませんね。分厚い本は、分厚いなりの理由がある。が、何よりも、この本の題名である『雇用、利子、お金の一般理論』というのが意味することくらいはわかってもらおう。

それまでの経済学は、基本的には物やサービスの需要と供給が、市場での価格を通じて調整される、という話だった。でもケインズ経済学は、それだけでは不十分だ、と指摘した。

雇用の相当部分は投資の大小で決まる。そしてお金の利子より収益率の低い投資は行われない。だから経済の雇用=需要が、利子というものを通じて、お金の市場により決まってしまうというのが一般理論の基礎だ。だからこそ『雇用、利子、お金の一般理論』ということになる。

たぶん、こんな本を読もうというくらいの人は、ケインズ理論自体はそんなに違和感はないと思う。いまは公共投資で雇用を作れとか、景気を刺激するために金利を下げろとかいう話は、ほとんど常識になっている。おそらく、その理解をベースにすればこの理屈のところはそんなにハードルは高くないはず。

でも、この理屈の評価がなぜ激変するのか? 実はそれは、題名の「一般」という部分に関係している。ケインズは、失業があるのが当然=一般の状態で、それ以外は特殊だと主張してこの題名をつけた。それを疑問視する人は、失業がないほうが普通だと考え、ケインズこそ特殊だと述べた。さて、実際の経済をみたとき、どっちが妥当か? その評価次第で、ケインズ理論の評価がまったく変わってしまうのだ。

ケインズの名言と人物像

さらに、各種のキャッチフレーズ、特に「無駄な公共事業」の解釈が分かれるのも、ケインズの書きぶりのせいもあるし、また彼の経済についての見方のせいもある。それも整理して、ときどきツイッターで見かける不毛な「ケインズはこう言った/言ってない」の水掛論をもう少し見通しいいものにしてみた。

そして経済学議論とはあまり関係ない私生活部分については、好きにお楽しみあれ。彼がバイセクシュアルで、かの『モーリス』の世界のモデルでもあり、あれやこれや。彼が大経済学者である一方で、享楽的でとてもおもしろい人だったのはまちがいないところだ。そして、実はそれも彼の理論に影響していないとも言えないのでは?

この本は、そういう本ではある。多少なりとも原典に即しつつ、ざっとケインズ理論について理解して、しかもそれがくぐりぬけてきた評価の激変や、各種の対立についてある程度のパースペクティブを得たい入門者向けの本、ということになるだろうか。そんな需要があるのかどうか(あと今にして思えばインフレ/デフレの話をもっとしておきたかった……)。

でも、ケインズ流行に乗って、彼のいいところだけあおるような本よりは、多少は効用が長続きするとは思うのだ。

そして、コロナ対策が長引き、経済対策がさらに必要になる中で、今後またケインズ的な公共支出の是非の話は確実に出る。すでにそうした議論はあちこちで見かけるけれど、「ケインズは無駄でもいいから仕事を作れと言ったのであって、お金をやれとは言っていないのだ」とか「ケインズは、長期的にはみんな死んでいるんだから何もするなと言った!」といった正反対の誤解が蔓延しているのは頭痛ものだ。

ケインズ政策が完全に正しいかは、いろいろ判断もあるだろう。でも、まずは本書で彼が本当に言ったことをきちんと押さえれば、議論もずっと生産的になるはず!

山形 浩生 翻訳家

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やまがた ひろお / Hiroo Yamagata

翻訳家。1964年東京生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程、マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務する一方で、科学、文化、経済、コンピューターなどの幅広い分野で翻訳・執筆活動を行っている。著書・翻訳書多数。訳書にシラー『それでも金融はすばらしい』(2013年、東洋経済新報社)のほか、ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)バナジー&デュフロ『貧乏人の経済学』(みすず書房、2012年)などがある。

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