「ケインズの評価」が時代により180度変わる訳 「悪の首領」か「正義のヒーロー」か、それとも?
だいたいそれは、最近テレビで再放送されている、初代「仮面ライダー」のようなお話になっている(ちなみに最近の新しい「仮面ライダー」は、どれも話がわけわからなすぎる)。
もう少し学問的な話まで書かれた本だと、ここに悪の秘密結社の先鞭をつけた死神博士たる「ミルトン・フリードマン」や地獄大使「ロバート・ルーカス」、各種のファイナンス理論の魔神たちの暗躍なども描かれる。
もちろんこれはいささか戯画化している。実際に書かれているのは、もっと真面目でしっかりした話だし、それが決してまちがっているわけではない。でも、話の基本的な図式はまさにこういうものだ。そしてぼくは、ヒーロー話は決して嫌いではないのだが……。
悪の首領ケインズ?!
ぼくは年寄りなので、電電公社がNTTになった頃のことをまだ覚えている。その頃は、話がまったく逆だった。
肥え太った役人が、好き勝手に利権をふくらませ、無駄な公共事業を山ほどやって人々の税金を無駄遣いし、借金を積み上げて人々の税負担をどんどん増やす一方、新しいものはすべて規制でつぶした。
電話機すら1種類しかなく、すべてに停滞感と閉塞感が漂い、それを正当化していたのが悪魔のケインズ経済学というやつだ、というのが当時の話だった。現在の悪の秘密結社こそが、当時は正義のヒーロー側だった。
そして学問的にも、ケインズ経済学は死んだという物言いが横行した。死神博士や地獄大使たちがそう言っていただけではない。
1970年代末頃に書かれた『ケインズ全集』の編集委員の巻頭言は、もはや「ケインズ経済学」のご威光はないが、だからこそその意義を振り返ることが重要だ、みたいな後ろ向きもいいところの代物だし、ケインズの長大な伝記で知られ、いまや彼を救世主扱いするロバート・スキデルスキーは、実は当時、『ケインズ時代の終焉』なんて本をまとめている。今と言ってることちがうじゃん!
ぼくはあまり定見のない人間なので、「ケインズすごい」という本を読むと、おおすごいのか、と思うし、「ケインズなんかダメ」という本を読むと、そうなのかな、と思ってしまう。が、それでも数冊読むうちに、さすがに話が変じゃないかと思うようになる。
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