ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ 実は日本の「トイレ」の歴史と関係している
農業従事者が減り、地主たちは土地を手放していったものの、残っていた土地では家族で野菜を作っていた。そのためには、コストのかからない有機肥料があったほうがいい。石神井の周辺では化学肥料だけでなく有機肥料も使っていた。自分たちが経営する賃貸物件のトイレは汲み取り式にして、肥桶で屎尿を畑に運んでいた。
1950年代以前、農業従事者が多く一面の畑だった時代は屎尿が足りず、地主たちは各家庭をまわって集めていた。しかし1970年代になると畑も減り、地主が経営する賃貸物件の屎尿でほぼまかなえるようになったのだろう。
汲み取った屎尿は肥溜めに
汲み取った屎尿は畑にある肥溜め(「野壺」ともいった)に入れる。人体から排泄されて間もない新鮮な屎尿は濃度が濃すぎて、そのまま畑に撒くと作物をだめにしてしまう。そこで、一度肥溜めに貯蔵し発酵させる必要があった。自然の微生物によって熟成させてから畑に撒くのだ。肥溜めはいわゆる〝熟成庫〟だった。
子どものころ、家の前の原っぱに肥溜めがあった。もともとは畑で、そこにあったものが残っていたのだ。小学校1年生のとき、肥溜めに落ちた。魚釣りの真似をしていたら、ふちの地盤が崩れたのだ。
死ぬかと思った。手を伸ばして土をつかむと崩れる。草をつかんでも、根から抜けてしまう。じたばたともがき、自力でなんとか這い上がったものの、体中熟成ウンチだらけ。どろどろのまま家へ歩いて帰った。
自宅に着くと、両親も祖父母も驚き、全裸にされ、風呂で徹底的に清められた。洗ったはずなのに、その日は夜まで、鼻の中にウンチの臭いが残っていた気がしたものだ。以後、肥溜めには怖くて近づかなかった。
このように、1960~1970年代の東京にはまだ汲み取りトイレのエリアがたくさんあった。下水道の新設が人口増加に追い付かなかったのだ。