リベラルとは何か
湯浅:この対談は「真のリベラルを探して」というタイトルですが、今、「理念の保守」が強い中で、リベラルの力がちょっと弱まっていると思います。そういう中で、どういったリベラルであれば日本をいい方向に導けるのか。今、思っていらっしゃることを伺いたいのですが。
加藤:リベラルっていうのは、よくわからない言葉でね。ちょっとまだ研究途中ですけどね。「こだわらない」ってことだろうね。それから、「自由にしゃべれる」ことだと思いますよ。
湯浅:はい。
加藤:今は自由にしゃべれなくなってるんですよね。みんな総理大臣に合わせて少しはタカっぽいこと言わないと、大臣になれないかもしれないと思ってしゃべるようじゃ、リベラルな国ではないと思いますね。
湯浅:いろんな意見を言える雰囲気、重要です。どうすればいいのでしょう? 具体的に?
加藤:どうしたら、もっと昔のようにリベラルになるか。「当選だけは俺の地元の後援会が保証してくれるだろうから、俺は思う存分言うわ」となったときに、日本の政治にかつてのリベラルが戻ると思います。問題はやっぱり選挙制度ですよ。
湯浅:わかります。今の選挙制度に変わって、天下国家を語る政治家が少なくなりましたね。
加藤:うん。それから、政治家が思うようにしゃべるだけじゃなくて、一般庶民が自分の思うことを思う存分しゃべれるようになるべきだね。本音でね(笑)。それで議論すればいいんだ。意見が違っていいんだよ。
湯浅:違う意見があるということが健全なのですよね。それをまとめる、というのは、地味で面倒なことですが、それがないかぎり、多様性のためにバラバラになるか、さもなければ強権的にひとつにまとめるしかない。私もそれが難しいけど、いちばん大事なことだと思っています。
加藤:やっぱりリベラルっていうのは、自分の好き勝手に思うとおりのことをしゃべれて、それをまとめていける社会にすることだからね。
湯浅: 加藤さんとお話してると、孔子の言葉じゃないですけど、自由に振る舞っても、矩(のり)を超えない、みたいな感じで頼もしいです。どうもありがとうございました。
(構成:長山清子、撮影:尾形文繁)
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