元商社マンが挑む「宇宙ベンチャー」での逆転劇 嘲笑されても意に介さず「大義」で未来を拓く
その投資家から1億円の出資を受け2017年9月、会社名を「スペースBD」に改称。宇宙分野でさまざまな事業を手がけていこうという思いを「BD=ビジネスディベロップメント」の言葉に込めた。
しかし、ここからが苦労の連続だった。知名度も実績もない極東のベンチャー企業。それが、宇宙業界のグローバルマーケットに突如飛び込んだのだ。大学時代はテニスに打ち込んだという永崎氏だが、例えるならラケットの握り方もわからない素人がウィンブルドンの会場に乗り込むようなものだ。
あるとき、エストニアで宇宙産業の国際シンポジウムがあると聞き、商機とばかりに渡航した。ところが、各国から集う宇宙業界の要人に「日本で打ち上げサービスをやるんです」と語りかけるも「実績はどうなんだ?」「どこのロケットを使うんだ?」と聞かれるとボールを打ち返せない。
「『まだ決まっていないんです』と答えた後の、シーンとした空気。あれに毎日さらされるのが辛くて……」
体当たりのコミュニケーションには自信のあった永崎氏も、誰からもまったく相手にされない状況に心が折れてしまう。1週間の滞在予定にもかかわらず、3日後には昼からビールをあおっていた。
JAXAのコンペにすべてを懸ける
糸口をつかめずに焦燥感を募らせていた永崎氏の耳に朗報が飛び込む。2017年12月、JAXAが国際宇宙ステーションの実験棟「きぼう」から船外に、超小型衛星を放出する事業を初めて民間事業者に開放すること、そしてそのパートナー事業者を公募することを発表したのだ。
「これだ。これしかない!」
永崎氏はこのコンペに懸けた。蜘蛛の糸のようなコネクションをたぐり、小型衛星の打ち上げサービスでは先駆者的存在であるアメリカ・ナノラックス社にアタック。JAXAの公募を勝ち取っていないにもかかわらず、日本の「きぼう」の商業利用に関心を持っていた同社とのMOU契約(Memorandum Of Understanding:交流協定)の締結にこぎつけた。技術サポートを担う企業もパートナーに迎え入れ、座組を整えた。
プレゼンでは実績がない分、宇宙産業の「大義」を、力を込めて目の前の審査員に訴えた。
やるべきことはすべてやり切った。この日のために頑張った社員を慰労しようと、一足先にパブでビールを飲んでいた永崎氏に、JAXAから1通のメールが届く。今日のプレゼンの補足か今後のスケジュールの連絡か、と何気なく目をやった。
<貴社を事業者として選定します>
思わず立ち上がり、何度も文面を読み返す。拳を握りしめ、ハッピーアワーで賑わう店内で人目もはばからず大泣きした。そのくらい、永崎氏にとっては文字どおりすべての退路を断って挑んだコンペだったのだ。
「これで落っこちたら、テニスコーチでもなんでもやって食いつなごうと、部下とも話していました」
実は、このJAXA公募枠を争う名だたる企業の中には、古巣・三井物産の姿もあった。そのことにも、永崎氏個人としては特別な思いがあった。
「ここで負けたら、なんで三井物産を辞めたのかわからなくなる。あのときの僕にとっては会社としても個人としても、デッド・オア・アライブの闘いだったんです」
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