知識創造理論が「ビジネス最強の武器」になる訳 四半世紀で「日本企業が失ったもの」は何か
野中:同志社大学教授の佐藤郁哉さんが、いみじくもこう言っています。「ビジネスの現場に相当、浸透しているPDCAサイクルは、得てして『PdCaサイクル』になりがちで、『P』と『C』は大きいが、『d』と『a』は尻すぼみだ」と。
何を言いたいかというと、肝心の「実行(Do)」と「行動(Action)」がほとんど行われず、「計画(Plan)」と「検証(Check)」ばかりになってしまうというわけです。
その結果、「オーバープランニング(過剰計画)」「オーバーアナリシス(過剰分析)」「オーバーコンプライアンス(過剰規則)」という3つの過剰病にかかって、実行力が衰え、組織が弱体化しているのです。
理屈をこいている暇があったら、まずやってみる。うまくいったら儲けもの、うまくいかなかったら反省して「別の方法」を試す。何が真理かといったら、うまくいったものが真理になるのです。
遠藤:私が思うに、いい経営をしている企業は結局、「SECIモデル」を廻しているのです。しかも、それは世界中の企業に当てはまるはずです。
数値至上経営の「虚妄」
野中:「われ思うゆえにわれあり」と説いたデカルト以来、サイエンスは分析至上主義できました。
サイエンスは分析と不即不離の関係にあるので、仕方がありません。でも、そのサイエンスだって、最初に「分析ありき」ではないはずです。
人間には身体がありますから、物事を認識する最初のプロセスにはその身体を通した主観的な経験がくる。その主観的な経験の本質を極めていくと客観的な数値やモデルになり、それがサイエンスになる。最初に「経験ありき」で、その後に分析がくる。その順番は揺らがない。
遠藤:それが逆転しているのが、一部コンサルタントや経営学者が、アメリカの受け売りで一時盛んに唱えていた「ROE(株主資本利益率)経営」ですね。
野中:そのとおりです。ROEの値は、何の価値も生まない自社株買いや社員の解雇による経費削減でも高まります。
「ROEの値ありき」で走ると、株主しかハッピーになりませんから、「経営の持続性」が損なわれ、結局、「何のためのROEなのか」わからない。
最近はさすがに流行らなくなってきたので、「ESG(環境・社会・ガバナンス重視)経営」に乗り換える輩もいる。SDGsへの熱狂などを見ると、「バッジを付け替えればいいのか、もうやめてよ」と言いたくなります(笑)。
遠藤:情けない話ですね。
野中:最近、伊藤忠商事が企業理念を「三方よし」に変えました。清水建設は「論語と算盤」を社是にしました。日本企業は古くからSDGsに取り組んできたわけです。
それには頬かむりして、バッジ付け替え組は、さも新しい経営手法のように唱道してしまう。実に嘆かわしいことです。
(構成:荻野進介)
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