京王百貨店「駅弁大会」開催を決断した舞台裏 例年とは異なり、鉄道業界を盛り上げる企画へ

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しかし最後は毎年、楽しみにしてくださっているお客様のために、と開催が決まった。駅弁大会は50年以上続いてきた歴史あるイベントだ。そう考えると、やはりどんな形になってもいいから開催したかった。

駅弁大会第1回のポスター(筆者撮影)

「今年は売り上げや動員数、販売個数を競うイベントではなく、鉄道や人物をクローズアップした企画にしよう」

コロナ禍で停滞している空気の中、毎年の冬の風物詩がなくなるということが、お客様や調製元、従業員にどれだけ暗いダメージを投げかけることだろう。しかも調製元にとっては金銭的にも厳しいのではないだろうか……そんな判断だった。

今までにない事態が起こっている今だからこそ、京王百貨店がやらねばならない独自の駅弁大会を企画することになった。

堀江氏は今までとは企画をがらりと変えることにした。今回はこれまで人気の企画となってきた定番の駅弁対決も休むことにした。

代わりに東日本大震災によって被災していた常磐線の復興を祝福する駅弁や、経営の苦しい銚子電鉄のグッズ販売、いつかまた電車で旅に出るその日を夢見た『駅弁ひとり旅』コラボ駅弁など、鉄道業界を盛り上げる企画を積極的に加えていった。

タスキを断ち切るわけにはいかない

駅弁大会は、これまでも巨大災害と関わり合いを持ってきた。第30回駅弁大会は1995年1月の阪神・淡路大震災と重なった。驚いたのは、開催から3日遅れで被災地神戸の調製元「淡路屋」が参加してきたことだった。現地で壊滅的な被害を逃れた淡路屋本社が食材をかき集め、アサヒビールから給水を受け、関西電力がいち早く通じさせた電力を使い、避難所や復旧作業の従事者へ給食を作り始めた。

そして「地元ではできることが限られていて人手は足りているから」と社員の2人が着の身着のままで新宿まで来てくれたのだ。この時は、京王百貨店の社員のみならず全国各地から集まる調製元も皆、感動し、被災した淡路屋から勇気をもらったという。

第47回駅弁大会のチラシ(筆者撮影)

2012年の第47回駅弁大会は、前年3月11日の東日本大震災による被害の爪痕を色濃く残す時期での開催となった。駅弁大会の担当者は全国の調製元と深い信頼関係でつながっている。震災直後には心配する当時の担当者のもとに次々と連絡が入った。宮古、一ノ関、郡山……各所の調製元が自分たちも甚大な被害を受けながらも、住民たちに炊き出しを行うに感動したという話を当時のブログに残している。47回の駅弁大会に参加してきた東北の調製元たちは皆からの喝采をあびていた。堀江氏たちは各地の調製元から、いつも勇気をもらってきた。だから、このタスキを今年で断ち切るわけにはいかない。

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