心配なのは、将来株価が上昇した場合に「株価のレベル」が適切なのかどうかだ。
中央銀行は株価を語るべきだ
バブルは、借金が投資に回ることによって、資産価格が将来維持できなくなるほど高騰する現象だ。かつて、アラン・グリーンスパン元FRB議長は、議長在任中に「バブルは崩壊した後になってみなければわからないものだ」と語ったが、資産にはおおよその適正価格があるものだ。金融政策の責任者が「適正な資産価格(特に株価)などわからない」と開き直るようではいけない。
黒田東彦日銀総裁は、2013年のいわゆる「黒田バズーカ」の政策を発表したときの会見で、ETF(上場投資信託)の買い入れに関して「(株式の)リスクプレミアム(株式の期待収益率から国債など無リスク資産の期待収益率を引いた差)が拡大していること」を理由に挙げた。
「リスクプレミアムをどう測り、今いくらだと推定しているのか?」と質問する記者がいなかったことは、まことに残念だった。ただ「リスクプレミアムが大きすぎる」とは、金融論的には「今の株価は安すぎる」と言っているのと同じことだ。
対象が「リスクプレミアム」でも「株価」でもいいので、黒田総裁の判断基準を聞いてみたいところだ。測り方も数字も持たずに、リスクプレミアムを判断することは不可能だし、国民への説明に使うことは無責任だろう。日銀は、国民に対してもっと資産価格についての分析を積極的に届けていいように思う。
そもそも適正株価には複数の計算方法があり、「適正株価」の可能な範囲がかなり広いことに加えて、前提条件が変化しうることを説明したうえで、「株価はいくらから、いくらくらいまでの範囲ならおおむね適正だと考えられる」といった程度のことを、計算方法を示したうえで言ってもいいのではないだろうか。国民への情報提供のうえでも、議論を活性化させるためにも、大いに株価について語っていい。
筆者の知る限りでは、1980年代後半のバブルの起こり始めくらいの時期に、日銀は株価に対する警戒感に言及した。その際「日銀は株式が専門ではないのに、株価に口を出すのはけしからん」「商売の邪魔をするな」といった、当時の証券業界のかなり下品な反発に懲りたことがある。証券界の政治家に対する影響力が今よりずっと強かったこともあって、証券界と同じくらい下品だった政治家たちも、この批判に同調した。
それ以来、日本銀行金融研究所の所員がたまに株価に関連する論文を書くことはあっても、政策に関わる人が株価の高低に言及することを避けるようになった。余計な波風も、発言の影響も面倒だし、分析の当たり外れを論じられるとプレッシャーになるので、「株価には口を出さない」という目下の方針は無難を旨とする日銀マンには心地よいのかもしれない。
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