兄が性犯罪を繰り返した女子高生の激しい苦悩 なぜ彼女はこれほどまでに引きずったのか

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当時家は「お通夜のように暗かった」そうですが、いま思えば、まだあまり深刻ではありませんでした。両親も由芽さんも、一度きりのことだと思っていたからです。

二度目に兄が捕まったのは翌年の、同じ季節でした。兄が鑑別所に入り、もう隠せないと思ったのでしょう、両親はこのとき、近くに住む母方の祖父母にも事情を伝えました。夜中に大人たちの話し声や、母親が泣く声が聞こえてくると、由芽さんは「私を呼んでくれればいいのに」と思っていたといいます。

「私の気持ちを、誰か聞いてくれないの? と思って。自分たち(両親や祖父母)はそこでああだこうだと話して泣いたりできるけれど、私にはそういう場を一切くれず、『大丈夫?』とも聞かれない。みんな自分のことにいっぱいいっぱいで、私はいつも誰にも気づかれないように泣いていました。あのとき私も呼んで、私の話も聞いてくれればよかったのに、というのはすごく後になって思いました。そのときは言葉にならなかった。

10年も15年も引きずって鬱になったりしたのは、やっぱりそのときに『辛い』と言えなかったからだと思うんですよね。あのときに思ったことを全部言えていたら、そこで終わっていたと思います。もう、後の祭りですけれど」

誰にも自分の気持ちを言ってはいけないし、誰にも受け止めてもらえないという苦しみ。以前、父親を自死で失ったある女性は「生殺しの地獄」と表現していました。由芽さんはこの「地獄」を自分ひとりで抱え込み、「家族を元気づけるために、明るく振る舞っていた」のでした。

「私がちゃんとして、お母さんの希望にならないと、この人(母)死んじゃうな、と思っていたから。すごく明るく振る舞って期待に応え続けていたけれど、それでも『死にたい』と言われるのがすごく嫌でした。『そういうの、言わないで』と言ったこともあります。でも言っていましたね。そういうのもあって(自分の苦しみは)言えなかった」

このとき由芽さんが心の支えにしていたのは、「兄が帰ってきたら、(思ってきたことを)全部言ってやる」という思いのみ。でも、それすらも叶いませんでした。

「それ(兄に言うこと)を支えに私、ずっと我慢していたんです。でも私が部活から帰ってきたら、私が口を開く前に父から『許してやれ』って言われて。絶望しました。この人は私のつらさを何もわかっていないんだと思って。でもそこでお母さんが、私がどれだけ辛かったか、一番辛い思いをしているのは私だって言ってくれて。その言葉がなかったら、そこで心折れていたと思います」

おそらくこのとき、由芽さんは兄への怒りの感情を封印してしまったのでしょうか。その後も兄とは「ほぼ、まったくしゃべっていない」そうで、筆者が尋ねても、兄への具体的な思いを語ることはありませんでした。

3度目の逮捕に…

「あぁ、またか」と思ったのは、翌年、三度目に兄が捕まったとき。このとき兄はある障害の診断を受けため、少年院でなく遠方の施設に入ることになったのですが、両親が泊まりがけで兄の面会に行ったのは、よりにもよって由芽さんの誕生日でした。父親が一人で日程を決めてしまったらしく、母親からは「すごく謝られた」そう。

「その日は一日中泣いていて、学校も初めてサボりました。それ以来、父とは一度も口をきいていません」

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