日本で「ナイキ動画」批判された当たり前の理由 日本に人種差別はないという人に伝えたいこと
彼らの中には、何としてでも成功してやるという衝動に動かされて現在の立ち位置を手にしており、成功すればいじめ問題について発言することができる、そして今苦しんでいる人を助けられるかもしれないと話す人たちもいる。彼らはみんな、国内、あるいは国際的な舞台でこれらのことをやってみせたのだ。
なぜ、批判する人々は、ナイキが提示するまでこうした問題に気がつかないままでいたのか。本当に謎としか言いようがない。このことは、日本による「すべての日本人は親切で礼儀正しい」という強烈なプロパガンダによるところが大きいだろう。少なくない日本人(そして外国人も)は、日本のような素晴らしいおもてなしの国に人種差別など存在するわけがないと信じて疑わず、そこに議論の余地はないのである。
非伝統的な日本人の生活や考えは、耳を傾けられず、無視されるか、あるいは無関係だとかウソだとか言われて軽視されてしまう。世界的な視点からみても、このことかからもさまざまなことが見えてくる。
残念なことだが、日本に対して批判的なことなら何であれ、こうしたタイプの反応は普通のことだ。ことわざにも言われているように、「No good deed goes unpunished(いいことをすると必ず罰を受ける)」ということなのだ。つまり、ここで言ういいことはナイキのCMのことで、センセーショナルで挑発的なために、取りくんでいる問題について批判を呼び起こしてしまった。
ナイキにも問題点はあるが
1988年以来、ナイキは「Just do it」という広告キャンペーンを掲げており、同社は感情を喚起して感銘を与えるCM作りで知られており、こうしたCMは簡単に忘れたり無視したりできないものだ。今回も例外ではない。CMは痛みのような印象を残し、その感覚はしばらく続くだろう。
ただし、ここで明確にしておかなければならないのは、広告のメッセージは立派なものだが、こうしたメッセージを発しているナイキ自体がこれまでいくつもの問題とされる行為にかかわってきている。例えば、アメリカでは、企業が新疆のウイグル人やその他のムスリム系マイノリティの強制労働に依存することを禁止する法律が提案されているが、ニューヨーク・タイムズ紙は先ごろ、ナイキがこの法律発効時の効果を弱めることを求めていると報じた。
つまり、ナイキの人権問題に関する記録はまったく無傷、というわけではない。人権問題の認知度を高める広告の出している一方、同じ土俵でナイキは偽善行為の批判を集めているのだ。
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