アラサー夫婦「結婚はつくづく幸せ」と感じる訳 "なんかいい"の繰り返しほど幸せなことはない
仕事を終え、どこへも寄らずにまっすぐ帰宅して「ずっと会いたかった!」と大げさに言う夫も、落ち込んでいるときに「太陽を浴びてないから気持ちが沈むんだよ! 外に出ろ!」と背中を叩くと素直に出かける夫も、植物をすぐに枯らしてしまうわたしにめげずに花をプレゼントしてくれる夫も、わたしがめそめそしているときにパルムを差し出してくれる夫も、締め切り前でぼろぼろになっているときに「疲れた顔の奥に、たしかなかわいさがある」と真顔で言う夫も、ごはん支度が面倒でシャウエッセンをレンチンしただけのものを出したら「おれ、マスタードもつけちゃお~!」とうきうきする夫も、隣にいるわたしの存在を寝ぼけながらたしかめようと手を伸ばす夫も、わたしが「なんかいいな」とふと思ったときに示し合わせたように「なんかいいね」とこぼす夫も、全部“なんかいいな”と思う。
なんかいい”をずっと感じながら
やさしさだと一括りにしてしまうのは、もったいない気がする。
相性がいいと片づけてしまうのは、怠けている気がする。
夫のふいに見せる言動が、存在そのものが、いちいち琴線に触れる。
言語化できないいし、したくない。するつもりもない。
上手に説明できない“なんかいい”をずっと感じながら、暮らしていきたい。
そういう風に思えるから、結婚してよかったと思っている。
夕食を終え、それぞれが思い思いに過ごすいつもの夜。自分の部屋で本を読んでいた夫が、「小腹が空いてきた……」とリビングに現れた。
「カップラーメンでも食べちゃおうかな、あのとんこつのやつ」
「おじさんなんだから胃もたれしちゃうよ」
「えーじゃあどうしよう」
「仕方ないなぁ、ちょっと待ってて」
観ていた録画番組を一旦止め、台所に立つ。ラップに包んで粗熱を取っていたごはんをレンジにかけ、少し前につくっておいたイクラのしょうゆ漬けを冷蔵庫から取り出す。水で濡らした手に、レンジで温めたごはんを乗せ、その真ん中にスプーンですくったイクラを乗せる。
想像以上にごはんが熱く、イクラはさらさらで筋子のようにはまとまらない。熱い! 火傷する! ワァーッ! イクラがこぼれた! どうしよう!あれこれ苦戦しながらもなんとか握ろうとしたが、できあがったものはかたちが歪で、ごはんからはイクラが溢れ出し、海苔の巻き方もめちゃくちゃだ。
「ごめん、なんか思ったより上手にできなかった」。そう言って、夜食にしては大きくて汚いイクラのおにぎりを差し出すと、夫は「おれはねぇ、君と結婚してほんとうに幸せだよ」と、うれしそうに頬張った。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら