「心が折れる」という人と考えてみたい"心の形" 実際のところ、心はどういう形をしているのか
ほかにも、「心が晴れる」という表現もある。晴れるということは、心は基本的には透明な素材でできているのだろう。普段はきれいに透きとおっているのだが、何かのきっかけで曇ったり濁ったりすることがあるのだろう。よし、だんだんわかってきた。心は“ゴムのようなものでできた直径10㎝以下の透明な筒状の容れ物”なのだ。
いや、待てよ。「心に刻む」という表現もある。これは大きな問題である。せっかくの透明できれいな心に、私たちは大胆にも文字や映像を刻むことがあるのだという。何ということだろう。忘れたくない素敵な言葉や思い出を刻むことで、そのせいで心は曇ってしまわないだろうか。そういえば、「思い出が邪魔して未来が見えない」なんて面倒くさいことを言い出す人もたまにいるから、何でもかんでも心に刻みすぎるのは、よくないことなのだろう。
心には本当に、本当に、大事なこと以外は刻んではいけないのだ。これは今すぐ肝に銘じなければならない。
心の「長さ」は?
心にまつわる表現はほかにないだろうか。うわっ、「心が騒ぐ」という表現もあるではないか。自分の意思とは関係なく勝手に心がざわざわすることを指す表現だ。勝手に騒ぎ出すなんて、それはもう心が意思を持った私とは別の生き物であるということである。かなり衝撃的だが、でもまあ、考えてみれば私たちの腸内にも無数の細菌が暮らしているのだから、今さら体内にほかの生き物がいると言われてもそこまで驚きはしない。そうか、心は“ゴムのようにやわらかい直径10㎝以下の透明な筒状のふたのある容れ物に似た私の中に住んでいる生き物”なのか。
と、ここまで考察してもまだわからないのは、その「長さ」である。「心がせまい」だの「心が広い」だのという表現がある以上、その容積に個人差があることは明らかだ。大体の直径もわかった今、容積に違いをもたらす要素は長さしかないから、あとは心の長ささえ判明すれば、私の中で「心の形」はバシッと決定するのだけれど。
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