マクドナルド創業者「成功の代償」に失ったもの ビジネスに魂燃やす「レイ・クロック」の深い業

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チェーン展開の成功を確信し、浮き浮きとした気分で帰宅したクロックでしたが、妻は夫が新規事業を始めるのに猛反対します。妻にしてみれば50を過ぎたクロックが、安定した事業を運営しながら、どうして冒険しなければならないのだという思いです。

クロックが「絶対に儲かる」と説得しても、妻は聞く耳を持ちませんでした。儲かる、儲からないではなく、今の暮らしを壊したくないのです。それでも野望の埋み火が燃え盛ったクロックは、妻の反対を押し切って1号店を出す場所を探します。

1955年、マクドナルドシステム会社を設立、イリノイ州デスプレーンズに出店しました。売り上げは上々で、順調な船出となり、新規事業の展開にクロックは手応えを感じます。

「口約束」のせいで借金を背負ってしまう

ところが、マクドナルド兄弟の裏切りに遭います。兄弟はクロック以外の人物にフランチャイズ権を5000ドルで売ってしまったのです。寝耳に水のことで、もちろんクロックは猛然と抗議をしました。

しかし、致命的なことに正式な契約書を交わしておらず、兄弟とは口約束だったのです。クロックはフランチャイズ権を取り戻すために、5倍の2万5000ドルを用立てなければなりませんでした。

また「絶対いける!」と思ったハンバーガー事業も、あっという間に暗礁に乗り上げました。出店した1号店の売り上げだけではどうにもならず、クロックは借金を抱え、営々と築いてきたミキサー販売会社の利益を補填せざるを得ませんでした。新規事業は、巨大なお荷物になったのです。

それでもめげるクロックではありません。彼はしゃにむに働きます。毎日、誰よりも早く店に出て材料の発注、厨房の準備、トイレ掃除までもこなし、夜まで働き詰めに働きました。それだけではなく、夜にはミキサー販売会社の仕事もしたのです。

その間、マクドナルド兄弟の要求は容赦ありませんでした。クロックは、店内のデザイン変更といった店舗運営に関わる重要な案件はもとより、ジャガイモの保存場所といった小さなことまで承認を得るために書面にし、速達書留で送らなければなりませんでした。

もっとも、クロックも口約束には懲りていましたから、書面で承認を得ました。寝る暇もなく、憑かれたように働いた甲斐があって、翌1956年には11号店にまで店舗を広げられました。

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