「詐欺やだましの分析」を経済学が苦手な理由 「不道徳な見えざる手」が教える経済学の弱点

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でもだれにでも弱点はあるし、だれでもしばしば、手持ちの情報は完全でなかったりする。そしてしばしば、人々は自分が本当に何を求めているのか、なかなかわからなかったりする。

ジョージ・A・アカロフ/ジョージタウン大学教授。2001年ノーベル経済学賞受賞。著書に『アニマルスピリット』(シラーとの共著)、『アイデンティティ経済学』(レイチェル・クラントンとの共著)など(写真:Peg Skorpinski)

こうした人間的な弱みの副産物として、人々はだまされる。それが人間というものかもしれないけれど、でもそれは経済学講義に登場する様式化された人間もどきとは違う。そして人々が完全ではないなら、こうした競争的な自由市場は、単に人々が求め欲しがるものを供給するための競技場にとどまらないものとなる。

そこはまた、カモ釣りの競技場ともなるのだ。それは釣り均衡につかまることになる(つまり誰かを犠牲にして利益を得られる機会があるなら、その機会は見逃されずに活かされてしまうのだ)。

この視点の違いを示すものが、親切な友人や同僚との長々しい熱っぽい会話に見られた。かれは本書のプレゼンテーションに耳を貸そうと言ってくれた。そしてすぐに、本書の質問にやってきた。どんな経済学者も理解できていなかったようなことが、この本にはあるのか?と。

私たちは、人々に弱点があるとき、つまり市場が効率的でないときの市場の役割を検討しているのだと説明した。そして弱点を持つ人々は、潜在的には、だまされ、ごまかされかねないと。かれは「病理学」を標準経済学に混ぜるのは間違っていると述べた。

でも現在の経済学に比べたとき、それがまさに本書の根本的な論点なのだ。私たちは――教科書の中や、ほとんどあらゆる経済学者の標準的な心構えのように――市場の健全な(つまり「効率的」な)働きだけを描くのは間違っており、経済的病理学は、単に外部性や所得分配のせいだけであるかのように描くのはよくないと考えている。

私たちは、経済はこの標準的な見方よりもっと複雑だと思っている――そしてもっと面白いと思っている。さらに私たちが思っているのは、この思想の分割(健全なものと病理的なもの)が単にいい加減でお門違いだというだけでなく、極めて悪影響をもたらすということだ。

経済学者の市場理解には問題がある

なぜか? その理由は、そうすることで現代経済学が内在的に、欺瞞と詐術を扱うのに失敗するからだ。人々の単細胞ぶりとだまされやすさは、見て見ぬふりをされている。

2015年時点の経済学者たちは、2008年の世界金融危機を振り返っている。そして私たちの少なくとも一部は、「どうしてなんだ?」という質問をしている。これは金融崩壊そのものがなぜ起こったかを尋ねているだけではない。それなら今や一般的な形で理解されている。

でもそれに加えて、私たち経済学者は自分自身をも省みている。なぜ私たちの中で危機を予測できた人間がこんなにも少なかったのかを不思議に思っているのだ。何が起こるかを予見した経済学者がこれほど少なかったというのは、実に驚異的なことだ。グーグルスカラーには、ファイナンスと経済学に関する論文や書籍が225万件ほど挙がっている。

これはサルとしての経済学者たちがランダムにキーボードをたたいて『ハムレット』を創り上げてしまうには不十分かもしれないけれど、カントリーワイド、ワシントン・ミューチュアル、インディマック、リーマン・ブラザーズなど、実に多くの企業が極めて短期間に炎上して崩壊すると述べる論文がそれなりに出現するには十分なはずだ。

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