民間人が生け贄 石原都政の無責任 元代表執行役だけが戦犯か
昨年6月以降の新経営陣は仁司氏らに対する損害賠償請求も辞さない構えだ。「都がつくった構想はよかったものの、実際の運営に当たった旧経営陣が台なしにしてしまった」との理屈である。しかし、これには都側の責任逃れが透けて見える。
報告書で違和感を覚えるのは、執行役を監督する立場の取締役について「法的責任は及ばない」とし、擁護している点だ。06年7月まで仁司氏らが取締役会に対しデフォルト大量発生の事実を隠蔽していたことなどが理由とされる。しかし、取締役が積極的に情報収集していれば、壊滅的事態は避けられたはずだ。
執行役陣が民間出身者で占められていたのに対し、当初から都は支配株主の立場で幹部1人を取締役会に送り込み続けた。さらに民間出身の取締役も「石原色」が強い布陣だった。鳥海巌・元丸紅会長は一橋大学の同期で石原知事と親しく、都教育委員を務めるなどしている臥都内で中小企業を経営する梶原徳二氏も石原知事と近いNPO(民間の非営利組織)の副理事長で、知事白らが「招聘した」と認めている人物だ。
つまり取締役会の責任を認めることは、石原都政の非を認めることにも等しいわけである。そもそも、報告書をまとめた委員3入のうち2人は都庁出身。委員長の津島隆一・現代表執行役はかつて新銀行設立本部長。報告書を最終承認した取締役会議長の大塚俊郎氏は出納長時代に新銀行構想の企画責任を担った人物だ。都への批判をかわすための”お手盛り報告書”の感は否めない。
失敗の根本原因は都が広げた”大風呂敷”
融資拡大を優先した仁司氏の経営に問題はあっただろう。だが、それはあらかじめ敷かれたレールに従っただけともいえる。都は03年6月、外郭団体の財団法人東京税務協会に業務委託して構想策定を始めた。同年12月の「基本スキーム」で示されたのは開業3年目に融資残高を地銀中位行並みの9300億円にするというもの。翌年2月の「マスタープラン」でもこの路線は踏襲された。
都が描いた収支計画は、融資残高を急増させることで、固定費負担と不良債権処理コストを吸収、3年目で一気に黒字転換を果たすというもの。前出の報告書は利息・保証料収入を上回るデフォルト発生を非難するが、マスタープランでも開業1年目は業務粗利益の倍以上の不良債権処理コストを見込んでいた。現実には融資残高は積み上がらず収入は伸び悩み、一方でデフォルトは想定より多発。都が広げた”大風呂敷”が破綻したのが今日ではないか。
開き直りを決め込む都の姿勢は]種異様だ。無責任体質は必ずや将来同じ過ちを繰り返すに違いない。
(高橋篤史、梅咲恵司 撮影:尾形文繁 =週刊東洋経済)
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