「投資は自己責任」の意味を誤解していないか 専門家の「予測の当たり外れ」をどう考える?

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ツイッター上に、筆者の宣伝をするボットのアカウント(@mabubot)があるが(ボットなので、ぼ~っとしているし、ダイレクトメッセージをいただいてもいっさい返事はなく、機械的なフォロー返しもしない)、そのアカウントの「固定されたツイート」(そのアカウントに行くと、いちばん上に常に表示されるツイート)には、こう書かれている。

「専門家の市場見通しの数値だけを追いかけても、無意味です。私の発信する情報の着眼点や分析がよい、とご評価いただけるのは誠にありがたいですが、私の最近の予測数値がたまたま当たった、ということだけで私をフォローするのは、やめた方がいいです。私の予想は、どうせそのうちにまた大外れします」

見通し数値よりも「ずっと重要なもの」とは?

上記のツイートは、一部の方には不興を買ったように聞いている。だが筆者の長年の経験では、多くの専門家の見通し数値については「前回当たった人が今回も当たる」「当たった人が今回は外れる」「前回外れた人が今回は当たる」「外れた人が今回も外れる」という確率は、すべてほぼ同じだという感触だ。

つまり、ある専門家の見通し数値が前回当たったかどうかというのは、将来について当たるかどうかの参考にはまったくならない。

では、そうしたことが事実だとして、なぜ見通し数値を筆者も含めて作成し、公表するのか。その点については、言語による予想を数値化することで主張を明確化する、という効用はあると考える。

「大幅に株価が上昇する」と述べても、情報の受け手によって「大幅」のイメージはかなり異なるだろう。それを、数値を使って「何%の上昇か」を示すことで、予想の示唆するところが明確化できる。

また、上述のように見通し数値の当たり外れが、その専門家のその後の予想の当否について何も示唆しないからといって、予測値をいい加減に打ち出してよいはずはない。予想数値も成果物の重要なひとつであり、誠意をもって専門家は唱えるべきだ。そのため筆者も、昨年後半に大きく見通しを誤った際は、お詫びをしたことがたびたびあった。

とはいっても、見通し数値ばかりを重視しても仕方がない、とすると何を注目すべきなのか。

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