「投資は自己責任」の意味を誤解していないか 専門家の「予測の当たり外れ」をどう考える?

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それは、見通しを構築するに至る過程の論拠や論旨だと確信する。いったいどういうデータや、政治・政策動向の洞察などに基づいているのか、またそこからどういう立論を進めているのかが、予想数値よりもはるかに有用だろう。

情報の受け手側は、そういったところこそ注視すべきであって、論拠も論旨も怪しいのであれば、その専門家の予想は読むに値しないだろう。そうした人の見通しが当たっても、それは偶然にすぎない。

情報の受け手が、ある専門家の論拠や論旨をよく理解し自身のものとして咀嚼できれば、最終的な市場見通し数値がその専門家の主張しているものとまったく異なってもよいと思う。

「専門家のAさんの論拠とするデータは確かなもので、展開する論旨もとても参考になる。そのうえで、結果としてAさんとは真逆の市場見通しを自身で構築した」ということになっても、それは素晴らしいし、専門家であるAさんは、その投資家の役に十分たっているといえる。

「自己責任」の本当の意味とは?

もちろん、投資は自己責任だ。この自己責任という言葉の意味を「専門家の見通しが大間違いでその見通しに基づいて売買して大損しても、投資家の自己責任だから文句を言ってはいけない」ということだと誤解している人が少なくない。

そうではなく、「自分で投資の結果に責任をとって、ほかの誰のせいにもしないのであれば、どんな投資をしてもその人の自由だ」ということが、「自己責任」の正しい意味だと考える。

つまり「自分で責任をとる限りどのような方針でどのような投資を行うのも自由であり、それについて誰からも非難される筋合いはない」ということだろう。

そのため、このコラムの読者の方で「馬渕さんは予想数値より論拠や論旨が大事だと言うが、私はまったくそう思わない、サイコロを振ってそれで予想数値を作ろうと、占いによる予測数値であろうと、毎回当たりまくるのであれば、論旨や論拠がなくてもよい」と考える方もおられるかもしれない。そう考えるのは、その人の自由だ。

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