歌舞伎町No.1ホストが叩きこまれた接客の流儀 かつての不夜城は粋なお客に支えられていた
吉原で働いている人たちはひと際美しかった。遊郭の名残がまだあったのだろうか。品格も兼ね備えている人が多かったし、そうでなければ働けないような場所だったと思う。
個性豊かで、粋なお客様が多かった。ホストに騙されている可哀想な女性ではなかった。クラブのママさんが毎日のように仕事終わりに酔っぱらってやってきて若いホストに怒られていた。毎日コントを見せられているようだった。顔を腫らして「いつものことだから」と言って平気で飲んでいる姐さんもいた。
ストリッパーの方々は団体でいらっしゃることが多かった。上下関係が厳しく姐さんが飲みに行く店に後輩を連れて行く習わしがあった。地方公演が終わって東京に帰ってくるとまとめ飲みするように大人数で豪快に騒いで飲む。飲み方も勢いがあって私は苦手であまり近づかないようにしていた。
有名ストリッパーに指名されていることはホストとしての箔だった。同様にAV女優もそうだった。ストリッパーという職業は歌舞伎町では花形の仕事だった。ストリッパーの女性たちは飲むときも自信に満ち溢れていた。当時は深夜テレビなどに取り上げられることも多かった。
「図書館」によって免許剥奪に
現在、歌舞伎町にストリップ劇場は2軒しかない。その原因の1つが「図書館」である。新宿区役所には1階に本棚があるのだが、そこが「図書館」という名目らしい。図書館の半径200メートル以内では新しく風俗営業ができない。というルールがある。2017年、区役所の裏にある老舗のストリップ劇場が数回にわたる営業停止を受けて免許を剝奪された。そうなると、新しく免許を取り直して営業を再開することはできない。40年の歴史が幕を閉じた。
粋なお客様に支えられて、ホストたちは毎日遊びまわっていた。遊ぶことが仕事のように毎日先輩たちは遊んでいた。いや、先輩たちは毎日ではなかった。私たち新人ホストは、先輩たちに代わる代わる連れ出されるので、毎日遊んでいるのはわれわれ新人ホストだった。遊びという遊びを何から何までしたのではないだろうか。
しかし、そうやって先輩たちと遊びながら新人ホストは漢を学んでいく──と言われていた。実際に先輩の荷物を持つこと、先輩の行く先のドアを開けること、先輩の箸袋を開けること、タバコに火をつけること……つねに先輩の様子を窺い、先回りして気を使うことを教え込まれた。
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