歌舞伎町No.1ホストが叩きこまれた接客の流儀 かつての不夜城は粋なお客に支えられていた

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その後、約20軒の若いホストを中心とした深夜営業の店がホストクラブの主流に変わり、お客様も仕事終わりの水商売や風俗の方が中心になっていく。この時期がホストクラブの大きな転換期だった。深夜のまた貸しという状況でホストクラブが乱立していけば当然秩序は乱れていった。

この時期のことは、石井光太『夢幻の街』に詳しい。

ホストのカッコよさは「漢らしさ」だった

当時のホストたちは「漢(おとこ)」だった。女を3歩下がってついてこさせる男がカッコいい。という文化だった。接客で楽しませる。というよりも、如何にモテる男でいるか? ということが価値基準だった。私が入店したお店の先輩たちも全員漢だった。

ある先輩に、3人バラバラのお客様を呼んで並んで座らせて、私に「接客してみろ」と言われたことがあった。3人ともお互いの顔は知っている。でもそれぞれがその先輩ホストのいちばんの女だと思っている。それを並ばせても3人のお客様は文句を言わなかった。私はただ1人で喋り続けた。

お店は売り上げを上げる建前の場所だった。「うらっぴき」という言葉が当たり前にあって、表向きは禁止されているが、たいがいのホストはうらっぴきをしていた。

つまり、お店以外で直接お客様に会ってお金を貰う。そして店を辞めてヒモになってしまう人もたくさんいた。新規でやってくるお客様は「枝」と呼ばれる元々のお客様の連れか、キャッチで捕まえてきたご新規さんのどちらかだった。『マンゾク』『ナイタイマガジン』という風俗誌にちょっとだけホストコーナーがあったが、それを見て来る人がごく稀にいた。

だからまずは、枝を連れてきてくれる幹のお客様に認められて枝を紹介して貰うことが大事だ。それはイコール、そのお客様が指名している先輩ホストに可愛がられることが大事という意味だった。というか、お客様は大体ホストの言うことを聞くので、先輩に好かれることのほうが大事だった。先輩に認められるとお客様にも認められるという図式だった。

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