「学術書」を読めようになると読書が変わる理由 「難しい本」と敬遠していてはもったいない

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僕はいわゆる右翼的な論者のものもそれはそれで読みます。読んで欠けている点とか、なぜこういう認識をするんだろうという点を見たりする。ヒットラーの『わが闘争』だって、なぜあの時代に登場したのか、引いた読み方ができる。それは幅広いジャンルに応用可能で、多面的に物事を見られるようになります。

──本の選び方で、とくにその学問における学史や古典など、歴史の読書を勧めていますね。

われわれは自分の体験から百年前の歴史を学ぶことはできません。それを知るには本しかない。過去その分野で何が問題とされどう解決されてきたか、アウトラインをつかむことで、自分と違う世界があることを立体的に知る。歴史を知るとその瞬間自分が小さく思えます。

自分が住んでる世界がすべてじゃない、過去とつながってる。すると次に未来を思える。自分たちの社会は過去のいろんな出来事があって、その中に今があるという感覚。明日を考えるためにも歴史への認識は大事で、僕が時間軸を大事にするのはそこなんですね。

本選びの話に戻ると、手っ取り早く、自分が憧れる知識人の愛読書を追っかける手もあります。たまたま僕が出会ってきた学識者たち、ノーベル賞取っちゃう人たちなどは、皆さん専門領域を超えて「それについて僕はこう思う」といろんな話をしてくれる。単純なフィーリングじゃなくて、勉強されてきた中でたくさんの事例を挙げて答えてくれる。そういう識者を慕って読書歴を追体験してみる。

「知を数で測る傾向」の危うさ

──学術書と社会の距離感、出版側はどう捉えているのですか。

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研究内容が2回り3回り外に向けて書かれれば、学術書は市民の知的な武器になりえる。ただ、学術書が読者の立場に立った丁寧さを失った背景には、学術界の大きな潮流が関係しています。今学者の業績は、本ではなく、“しかるべきジャーナル(学術雑誌)”に掲載された論文数で評価される仕組みになっている。知を数で測る傾向であり、研究を丁寧に説明する機会を失ってしまった。

そこで大事なのが媒介者となるべき出版人ですが、現状はいかがなものか、というのがあります。実際、大学出版部はどんどん潰れていて、現在の協会加盟校は最大時32から26へ減りました。平然と、若手研究者の本を初版200部で出してます、なんて誰に読ませようと思ってるの?って話でしょう。どれだけ広く読んでもらえるか媒介するのが本来の機能であるはず。これは正直、本当に問題だと思っています。

中村 陽子 東洋経済 記者

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なかむら ようこ / Yoko Nakamura

『週刊東洋経済』編集部記者

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