私たちが忘れた「愚行権」行使する人々の生き様 日本3大ドヤ街・横浜「寿町」で生きる人の実像
翌日、仕事を終えてアパートに帰ってみると、出て行ったはずのミチコと3人の子供が部屋で待っていた。
「ミチコは彫り物した旦那と切れたんだ。だけど、思えばオレの転落の人生は、あそこから始まったんだよ。それまでの稼ぎじゃやっていけないもん」
サカエさんが30歳のとき、サカエさんとミチコの長女が生まれた。そこからほぼ2年置きに、男、女、女とミチコは次々に4人の子供を生んだ。前夫との子供を合わせると7人。サカエさんとミチコを合算すると、9人の大家族である。
そして、さらなる展開が・・・
4畳半と6畳のふた間しかないアパートに、しばらく9人で暮らしていたとサカエさんは言う。私にはそれがどのような暮らしだったのか想像がつかないが、当然のごとく家計は逼迫した。サカエさんは、ミチコをキャバレーで働かせることにした。
「そうしたら、浮気をしたんだよ」
これもよくある話と言えばよくある話だが、やはり、そこから先がちょっと違う。相手は、青森から出稼ぎで出てきていたキャバレーの客だという。サカエさんはミチコを同伴して、海老名にある男の部屋に乗り込んだ。懐に畳包丁を忍ばせていた。
「包丁は使わなかったけど、頭に来たから、男の家のアイスピックで刺したんだよ」
「死んじゃいましたか」
「いや、太もも刺したから。畳包丁だったら、もっと切れたと思うよ」
男が警察に通報し、サカエさんは警察署に勾留されたが、起訴はされずに10日間で釈放された。
ミチコは最初、浮気相手の住所を言わなかった。
「でも、足の指の爪を一枚ずつペンチで剥がしていったら、白状したんだよ」
その後、サカエさんは寿町で息をひきとるまで、そんな人生を歩んだのか。
後編は、次回につづく。
(この記事の後編は11月24日に公開します)
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