武田:賞賛する、というわけではありません。こっちのほうがすごい、なんて話ではない。いま、日本では菅義偉首相が「『自助、共助、公助』、そして『絆』」というスローガンを掲げている。口に出すのもイヤなスローガンですが、この中国社会というのは、「『自助、共助、公助』、そして『絆』」が完成されている社会なのではないか、と思ったりもしました。
飯塚:そこで関連してくるのが、SNSなどのインターネットの威力です。日本よりもずっと発達していて、中国社会はスマホがないともう暮らせなくなっています。今回のコロナ禍でも、中国のほか、台湾とか韓国もスマホのアプリで健康チェックができたり、そういうことが感染拡大を防ぐのに役立ったと言われています。それは当然すばらしいことで、こういう災難を克服するときにはすごく役立つわけです。
ただし、その反面、個人情報がすべて握られてしまうという危険が当然あるわけですが。中国は監視社会だとよく言われますし、それは事実だと思います。いまの中国社会はそれが完成形に近づいていて、実際に暮らしている人からは本当に便利な社会になっていると聞きます。
スマホアプリがないと、タクシーも呼べないし、お店で注文も支払いもできない。そういう管理された社会に溶け込んでしまうと、本当に幸せに暮らせるようです。
幸せな暮らしの裏側に恐ろしさもある
飯塚:多くの人はそうして幸せに暮らしているけれど、その裏側に恐ろしさもある。日本もいまデジタル化を進めて同じような社会にしようとしていますが、それには恐ろしい面がある、ということもやはり考えないといけないでしょう。
武田:「まえがき」に、1月25日に医療チームの第1陣が上海から武漢に駆けつけるという報道があったとき、「こうしたニュースは武漢市民の精神を徐々に安定させた。なぜなら中国では、国レベルが行動を起こせば、ほとんどの人が全力を傾けることを知っているからだ」とあります。国に監視されること、統制されることへの恐怖はあるが、「国が動く」となったときの安心感が強くあるということなのでしょうか?
飯塚:そうですね。方方さんはいろいろな批判を受けていますが、基本的には国を信じているし、国を愛していると思います。この本は一部で、政府批判の本だと見なされているようですが、まったくの誤解です。
よくよく読んでみると、批判は非常に限定的で、地方政府が初期段階で事実を隠蔽したり、動きが遅かったりしたために感染拡大を招いたことだけを非難しています。国が動き出してからは、それが克服されたと評価しています。やるとなったらすごいですから。仮設病院をわずか10日間で建てて、感染者を収容して、それで治まったわけです。そうでもしなかったら、もっと悲惨なことになっていたでしょう。