任天堂3代目「娯楽は二番煎じではダメ」の真意 山内氏「必需品なら二番手でも安い方が売れる」

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例えば、若手社員たちは「ユーザーと同世代の自分たちに発言権がまったくない」とこぼす、社内に派閥ができている……。さらに、1999(平成11)年、当時の社長だった塙義一(はなわ よしかず)が、自社についてこう語った。

「業績が悪くても誰も自分の責任だと思わない。私はこれを『他責の文化』といっています」

カルロス・ゴーンが、日産再建のためにルノーからやってきたのは、45歳のときだった。

ゴーンは、まず日産に決定的に欠けているのはビジョンだと看破した。1年後に黒字化、2年後に成長回復と、明確に目標を定めた。そのために、国内工場閉鎖、下請け会社と社員とディーラーを削減……。大規模なリストラや人員削減を断行した。

こうして就任後4年間で、負債2兆1000億円を完済。日産は、倒産寸前から奇跡の復活を果たしたのである。私はゴーンに、なぜ復活できたのか、直接、聞いた。

「理由は2つあります。1つは目標をはっきりさせたこと。しかし、言葉だけでは誰も信用しないのは当たり前です。いま、その結果が出たわけです。2つ目は、社員に働く動機づけ、モチベーションを持たせたこと。彼らが私のプランを理解し、受け入れ、参加してくれたこと――。つまり、日産の社員たちが運命を共にしてくれ、彼ら自身が働いてくれたことです」

「他責の文化」を「自責の文化」に変えた

しかし、大リストラを敢行したとき、社内でも「ドライで人情がない」という声が多かった。ドライになりながら、なぜ同時に、社員たちにやる気を起こさせることができたのか。

「経営者とは自分の感情を抑えるべきだ、と私は考えています。私の仕事はいつも、会社を客観的に見て動かしていくことです。みんなが私に期待したのは、結果だけです。再建のやり方ではない。やり方はいくつもありますが、結果は1つです。感情は二次的なものであって、大事なのは結果なのです」

実は、ゴーンはドライというだけではなかった。派閥を解体し、若い社員たちに「どんなクルマを作りたいか」と直接、語りかけた。日産の誇りだった「フェアレディZ」を復活させ、社員の心を躍らせた。ゴーンが送り込んだ風が、社内の空気を変えたのだ。

ゴーンは、日産の不振の原因を、過当競争や不況などではなく、内部にあるとした。

「私がいつもいっているのは、日産の敵は日産だということです。漫然としている、危機感がない、いつも失敗の口実を探す……。これが日産のいちばんの敵です。外部での競争ではない。そしてこれは、どの企業にも当てはまることです」

ゴーンが成し遂げた最大の改革は、前社長が認めていた「他責の文化」を、「自責の文化」に変えたことであろう。

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