任天堂3代目「娯楽は二番煎じではダメ」の真意 山内氏「必需品なら二番手でも安い方が売れる」
「ワード・ポリティクス」という言葉がある。アメリカには「ワード・ポリティクス」に長けたリーダーが多い。
例えば、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、2001年9月11日に「同時多発テロ」が起きたとき、「民主主義国家に対するテロリストたちとの戦争」だと言い切り、国民を1つにした。アメリカ国民の心をつかんだバラク・オバマ大統領の「Yes, we can.」は記憶に新しい。日本でも「自民党をぶっ壊す」と叫んで高支持率を得た小泉純一郎首相には、天才的な「ワード・ポリティクス」のセンスがあった。
企業の経営にも「ワード・ポリティクス」が必要である。とくに時代の転換期や危機的な時期には、従業員や株主、そして社会を納得させ、共鳴させる決め手となる「言葉」が必要である。躍進する企業の経営者たちの多くは、私たちをうならせる言葉、すなわちシンプルな「成功哲学」を持っている。
『伝説の経営者100人の世界一短い成功哲学』ではそうした言葉が数多く紹介されている。本稿では、同書から一部抜粋してお届けする。
注)本稿に登場する経営者の肩書は、著者の記憶に最も印象づけられている当時のものです。そのため、短い略歴を同時に掲載しています。
任天堂社長・山内溥の名言
必需品ならば二番手でも安いほうが売れます。
しかし娯楽は二番煎じではダメです【山内溥(任天堂社長)】
山内溥(やまうち ひろし)/1927(昭和2)年、京都府に生まれる。早稲田大学専門部法律科卒業。1949(昭和24)年に祖父の積良が病に倒れ急遽、跡を継ぐ。以来、2002(平成14)年まで53年間にわたり同社の代表取締役を務め、一大エンターテインメント産業に育て上げた。2013(平成25)年没。
「取材に来られる方は、任天堂は特別な会社であり、画期的なことをしているのではないかと考えているようですが、自分としては何も特別なことをしてきたつもりはありません」
任天堂社長・山内溥は、いかにも面倒そうな、物憂げな口調で話し出した。薄く色の付いた細縁の眼鏡が決まっている、ダンディーな中年紳士。恐ろしく取材しにくい難物だ。
1889(明治22)年、山内房治郎(やまうち ふさじろう)が京都で始めた花札(はな・ふだ)製造業が任天堂の祖である。以来、地道に花札やトランプの製造を続けてきた老舗企業がファミコンブームを作り上げ、一躍、時代の寵児になった。その「中興の祖」が、3代目社長の山内溥である。
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