「西洋文化の没落」が招いた現代の歴史的危機 スペインの思想家が「100年前に警告」したこと

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ところが、いつの間にか、「生」そのものを問題とすることをわれわれは忘れてしまった。

山の頂に立ちたいという「欲望」と、山頂からの眺望をくまなく記述するという「理性」だけで登山を語るようになった。こうなれば、山に登山鉄道を開発して山頂に立つという「欲望」の簡便な満足を目指すだろうし、山頂からの眺望は、実証的な理性主義の輝かしい成果になるだろう。

それどころか、今日ではドローンでも飛ばして頂からの空中映像を地上で見る。だが、そこには「生」はない。活動的生に光が当てられる場所はない。そして、この登山鉄道を開発した高度な技術と、山頂からの眺めという実証科学だけが、優れた「文化」として賞賛される。

近代とはそういう文化の時代なのである。

しかし、たとえこうしたものを「文化」と呼ぶとしても、本来、その「文化」を生み出したのは「活動的生」であった。高い山の頂を遠望するときに感じる憧れ、驚き、畏怖、挑戦意欲、闘争心、自己犠牲、こうした「生」が「文化」を生み出したのであった。「文化は生きる主体の深みから生まれる」とオルテガはいう。また、「文化とは厳密な意味での生であり、自発性である」ともいう。

「ヨーロッパ文化の没落」が招いた現代の歴史的危機

だがそうこうするうちに、文化の産物は、科学、倫理、芸術、宗教的信仰、法律的規範などのいずれの領野においても、人間の主体や主観から切り離されてしまい、独立してそれ自体の威信と権威を持つようになる。こうなると、それを創造したはずの「生」そのものが、この文化的アイテムの前にひざまずき、逆にそれに服属するようになる。

ここにあるのは、もはや真の意味での文化、つまり、「生」という生きた創造的活動を含んだ文化ではなくなっている。しかし、この優れた文化的アイテムを生み出した人々は、自分たちは素晴らしい文化を達成したと誇らしげに胸を張る。近代という文字が刻まれた文化勲章を持つ。だが、事実はといえば、彼らが誇っているのは、巨大な虚構の集合体にすぎないのだ。

そして、この虚構の集合体としての文化は、時が経てば経つほど、それを生み出した「生」から切り離され、化石化してゆくだろう。そしてそのことに気づいたときに、ヨーロッパ人は、それを「文化の没落」と言い出したのである。

しかし、とオルテガは言う。文化の没落などということは存在しない。ずっと以前から没落していたのは、「ヨーロッパ人の生命力」なのである。「ヨーロッパ文化の没落」とは、「ヨーロッパ人の活動的生の没落」にほかならないのである。

これが、20世紀初頭の「ヨーロッパの危機」であった。現代の歴史的危機である。

佐伯 啓思 京都大学こころの未来研究センター特任教授、京都大学名誉教授

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さえき けいし / Keishi Saeki

思想家。1949年奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程単位取得。広島修道大学専任講師、滋賀大学教授、京都大学大学院教授などを歴任。著書に『隠された思考』(筑摩書房、サントリー学芸賞受賞)、『「アメリカニズム」の終焉』(TBSブリタニカ、NIRA政策研究・東畑記念賞受賞)、『現代日本のリベラリズム』(講談社、読売論壇賞受賞)、『近代の虚妄』(東洋経済新報社)など。現代文明や日本思想についての言論誌「ひらく」(A&F BOOKS)の監修も務めている。

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