東京・埼玉・千葉・群馬・栃木の1都4県に、関東の大手私鉄では最も長い約463kmの路線網を張り巡らせる東武鉄道。そのほとんど全線で活躍し、少し前までまさに「東武の顔」的存在だった車両がある。白地に青と水色のラインが入った「8000系」だ。
浅草や池袋といった都心のターミナルには顔を出さなくなったものの、今も野田線(東武アーバンパークライン)や東上線の小川町以北と越生線、群馬県・栃木県内のローカル区間のほか、東京都区内でも亀戸線や大師線で現役。東武線の利用者なら一度は見たこと、乗ったことがある車両だろう。
8000系が誕生したのは、前回の東京五輪の前年にあたる1963年。その後20年間導入が続き、1つの形式としては私鉄で最多の712両が造られた。派手さはないが、半世紀以上にわたって東武線の通勤輸送を支えてきた。
通勤電車の標準型
長さ20mの車体に2枚の扉が両側に開く「両開き」のドアが4つ、車内は窓を背にして座るロングシート――。8000系は日本の通勤電車の標準的スタイルの車両だ。
昭和30年代以降、都市部の鉄道に普及したこのスタイルの代表格は国鉄(現・JR)が導入した「103系」。1960年代から80年代にかけて3400両超が造られ、山手線など首都圏各線をはじめ全国各線で使われた「通勤電車の代名詞」といえる車両だ。東武の8000系もその数の多さと長い製造期間から、鉄道ファンに「私鉄の103系」などと呼ばれることもある。
一見どれも大差なく見える8000系だが、「長きにわたって造られた車両なので改良や改造を重ねていて、初期の車と最後のほうの車ではいろいろな部分が違っているんです」と、南栗橋車輌管区新栃木出張所(栃木県栃木市)の手塚央区長。台車の違いなど外見で分かる部分だけでなく、「(部品が)この車両には使えるけどこっちには使えないな、とか、メンテナンス的にはちょっと泣かされる部分もありますよ」と笑う。
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