支持率のみを求める政治は社会を繁栄させない バグだらけの認知能力が世論を作ることもある

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ここで問うてみよう。そもそも、人は、どうして認知バイアスを伴うシステム1を備えているのか。

さてここまでくると、冒頭に紹介したハンス・ロスリングやスティーブン・ピンカーたちと同じ問題意識になってくるのである。

ハンス・ロスリングは、人はなぜ間違えるのか、人はなぜ事実とは完全に異なる「ドラマチックな世界の見方」に溺れるのかという問いに対して、最初は、知識のアップデートが足りないからであると考えたようである。しかしそれはどうも違うと思い、悪徳メディアやプロパガンダやフェイクニュースが原因ではないかと考えていくようになる。だが、そうした考えは間違いであることに気づいていく。そしてたどり着いた先は、「脳の機能」にあるというものであった。

ハンス・ロスリングと同じように、人間の本能の問題を考えていった者に、スティーブン・ピンカーがいた。彼の考えは、彼の『21世紀の啓蒙』にある次の一言に端的に表れているとみていいだろう。

進化がわたしたちにはめた足枷
わたしたちの認知能力、感情機能、道徳性は、あくまでも原始の環境で個々人が生存、 繁殖するのに適したものであって、 現代の環境で世界全体が繁栄しようとするのに 適したものではない。……わたしたちが頼りにしている認知能力は、従来の伝統的社会ではうまく機能したかもしれないが、今ではもうバグだらけと思ったほうがいい。

バグを持つ本能の赴くままに論を展開する者が続出し、彼らにメディアが拡声器を準備していく。そしてバグを持つ本能の赴くままに、世論は形成されていく。

支持率のみ求める政治の帰結

民間の企業が経営目標を達成するために使うKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価)という考え方がある。よもや、政治の世界で、支持率をKPIと見立てて政権運営するような事態は、過去にも未来でも生じないと思うが、もしそうなれば、いったいこの国はどうなるのだろうか。

国民からの支持率を高く維持していくという目標を達成することは、かつてのローマ帝国の「パンとサーカス」に変わりうる手段が今の時代には豊富にあるために、手を替え品を替えてやっていけばさほど難しくないとは思う。しかしはたして、支持率を維持することを目標とした政治が、ピンカーの言葉を借りれば、「現代の環境で世界全体が繁栄しようとするのに適した」政治になりうるのかというと、はなはだ心許ない。

さらにいえば、公共政策の大半は、合成の誤謬――個々には合理的であっても総合すれば全体に対して不都合が生じる――に陥っている問題を解決するためにあるわけだが、この種の問題は、どうしても総論賛成・各論反対に陥ってしまい、結局大山鳴動して鼠一匹という運命をたどりがちとなる。合成の誤謬に陥っている問題を解決するという公共政策の使命は、政治の支持率極大化行動との間に齟齬を生むのは不可避である。

民主主義というのは、まことにやっかいなもののようである。おそらく民主主義の下で社会を動かしていくしかないのであろうが、これがやっかいなものであることは、今少し広く知られておいてもいいような気がする。そうした話にもし関心を抱かれる人がいるのであれば「子どもの頃教わらなかった大人の世界の民主主義」あたりをご笑覧いただき、「あなたは第何象限から発言されていますか?」の問いの意味を理解してもらえればと思う。

権丈 善一 慶應義塾大学商学部教授

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けんじょう よしかず / Yoshikazu Kenjoh

1962年生まれ。2002年から現職。社会保障審議会、社会保障国民会議、社会保障制度改革国民会議委員、社会保障の教育推進に関する検討会座長などを歴任。著書に『再分配政策の政治経済学』シリーズ(1~7)、『ちょっと気になる社会保障 増補版』、『ちょっと気になる医療と介護 増補版』など。

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