支持率のみを求める政治は社会を繁栄させない バグだらけの認知能力が世論を作ることもある

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しばしば、次のような話をする。

日本ではもちろん、世界中で大ベストセラーとなっている『ファクトフルネス』の著者ハンス・ロスリングは公衆衛生を専門とする医師。
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツに「世界はよくなり続けている。たとえ、いつもはそんなふうに思えないとしても。……大局的な視点から世界の姿をわれわれに見せてくれる」と評された『21世紀の啓蒙』の著者スティーブン・ピンカーは言語能力の獲得過程を研究してきた言語学者・心理学者。
そして、『ちょっと気になる社会保障』などの著者である私は――彼らの専門とは何の接点もない……。しかし、おそれながら、この3人にはある種の共通点がある。さて、それは何?

それは、彼らの論には認知とか本能という言葉が何度も出てくることである。

年金への誤解はなぜ起きた?

私は、2004年に行われた年金改革の大騒動の頃から、いいかげんな年金論を言う論者たちに、それ間違えているよっと諭(さと)す、年金誤解を解く請負人、鬼退治をする桃太郎侍のような役回りをさせられていた(「人はなぜ年金に関して間違えた信念をもつのか」参照)。

あれからもうすぐ20年近くなるのであるが、この間、どうして人は、年金に関して間違えた信念を抱くのだろうか、なぜ人は、そしてメディアはトンデモ論を唱える者たちをもてはやすのだろうかと疑問を持ち続けてきた。

民主主義における情報問題というテーマを立てて、投票者が自分の時間を自由にかつ合理的に使おうとすると、難解な公共政策の勉強には時間を回さなくなるという「投票者の合理的無知」の話から解き明かしたり、メディア人や政治家のレベルに問題があるのだろうかと考えたりもしてきた。

しかしながらよく考えてみると、世論が間違えるのは、何も年金だけに限られるわけではない。人というのは、歴史上、集団でも、繰り返し大きく間違えてきたのであるし、1人ひとりでも頻繁に騙されて、時には簡単に詐欺に遭って生きていたりもする。

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